主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第49回「無駄」②

<無駄を排除するとどうなる?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。

 

今日は昨日の続きで

「無駄」

について書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日書いた内容としては、以下のようなものです。 

・「無駄」に対するイメージ

・「無駄」と「役に立たない」の関係

・「無駄」は何にとってかによって変わる

 

◆「無駄」と時制

「無駄かどうかは、それをやる前には判断できない」

という意見があり、無駄と時間についての関係の話になりました。

 

「無駄だった」と評価するのは、相応しい結果が出なかったとき、つまりやり終えた後です。

しかし、やる前に「無駄だからやめておけ」ということもあります。

それが未来に向かって無駄になるのかどうか、それは誰にもわからないはずなのに、過去の経験をもとに確率論的に語っているようですね。

 

災害時、普段「無駄」とされているアナログなグッズが役に立つこともあるように、いつか役に立つこともありますからね。

しかし、それこそが「無駄」と「無駄じゃない」の境界線であり、ここにギャップが生じやすいのも事実です。

「いつか必要だから」と、モノを溜めこんだり、結果を生まないことをやり続けたりするものです。

 

◆無駄を排除すると?

自分たちは無駄を極限まで排除するとどうなるのか?という話題も出ました。

ただこれは前述のように、「何に対しての『無駄』とするか」という前提によって変化するもので、そこが決まらないとメンバー間で食い違ってくるものです。

「人間が健康に生きていく」のか、「長生きする」のか、あるいは「幸福に過ごす」となると、また違ってきます。

 

健康に長生きするために無駄を排除していけば、嗜好品・ぜいたく品のたぐいはまず不要になるでしょうね。こってりラーメンなんかもってのほかですね。

突き詰めると、食事は食べるのではなく「完全栄養」を直接胃に流し込むほうが効率的かもしれません。

結婚して子供を産み育てるっていうのも、「無駄」になるかもしれません。種を継続させるだけなら、集団での子育てのほうが効率的かもしれません。

 

そうやって考えていくと、「無駄」というのは、「人生の面白み」につながる重要な要素かもしれない、という考えにも至ります。

 

◆人生は無駄?

最後に、「人生は無駄なのか?」という問いがありました。

自分の営みが、社会の維持発展に少しは役に立っていると考えると、人生は無駄ではありません。

しかし実存主義的に考えると、意味なんてものはありません。なぜだかよくわからないけれど、いつの間にか生まれてきて、そのうち死んでいくだけです。

「いずれ太陽が巨大化して地球が飲み込まれる」ことを考えても、人間の営みは「無駄」だということも言えるかもしれません。

ただここでは、「無駄」というより、「無意味」ということのほうがしっくりくるかもしれませんね。

 

◆終わりです。

今回は人数が少なかったこともあり、思考実験的に考えたり、割と熟考が多く静かな回となりました。こういうのも良いですね。

 

以上で今回の哲学カフェのレポートを終わります。

ありがとうございました。

 

では、また!