<マスク有りコミュニケーションは変化したか>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで、青空哲学カフェ
「マスク」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては、以下のようなものです。
・あなたは外したい?外したくない?
・仕事とマスクの関係
・公の顔とプライベートの顔
◆マスクと恋愛
あいにくメンバーに学生はいなかったですが、「クラスメイトに恋をするとき、みんなマスクをしている今だと、どうなっているのでしょう?」という問いがありました。
学生のころは、顔がかっこいい、可愛いから恋は始まることが多いと思います。
マスクで覆われている部分は、自分の好みのように想像すると言われますので、「想像補正あり」の顔に好意を抱き、マスクを外した姿を見て、「思ったのと違った!」となるのでしょうか。
「思っていたのと違った」っていうのは、勝手に思われていた側にとっては実に迷惑な話なんですが。
それとも、食事などで顔を確認してからでないと、お付き合いにつながらないのでしょうか。
それか、「想像補正あり」の顔で好きになってしまうと、いざマスク無しの顔を見て、思っていたのと違っても、今度は「好きになってしまった補正」がかかることで、そのまま好きでいられるのでしょうか。
もしくは、顔以外の要素、スタイルやファッションセンス、しゃべりや行動から、恋愛に入っていく傾向が高まったのでしょうか。
そうであるならば、恋愛にとって、マスクはありがたい存在なのか、変に違う風に想像されてしまうから、マスクは面倒な存在なのでしょうか?これも興味深い話題となりました。
◆マスクはファッションアイテムか
マスクにファッション性を求めるか?という問いもありました。
参加メンバーでも、カラーマスクや手ぬぐいを加工したものなど、きれいなマスクをしている方もちらほら。
比べて、私なんかは常時量産型の白。
「仕事の日は白、休日は色付き」という意見がありましたが、これも前半の話を踏まえると、なるほどと思う部分も。
◆いざ、マスクを外してみて
ふだん外を歩くときも常時マスクの私にとって、今日ぐらいはマスクを外してみようと思い、家を出てから駅まで、また着いてから公園内を歩くとき、マスクを外して歩いてみました。
なんか、やっぱりどこかこそばゆい気持ちになりながら、それでもガマンして歩いてきました。
この気持ちの正体はなんでしょう、例えていうなら「エスカレーターで空いている左側(大阪以外は右)に自分だけが立ち止まっている」感覚でしょうか。
そこまで気にしなくてもいいはずなのに、どうしても気になってしまう。
別の方から「ドッグランで自分の犬だけが洋服を着ていなかった感覚」という秀逸な例えも出てきました。
集団心理とか、同調圧力とか、そんな風に考えるのもアリですが、個人的にはたんなる慣れの問題なんじゃないかという、そんな感じかなとも思います。
2年以上ずっとしてきたから、いざ外そうとなったら、なんか変な気がする。コロナ前は、常時していなかったから、ずっとしなきゃならないのはやっぱり嫌だってなりましたし。
◆終わりです。
今回の哲学カフェは、半年ぶりの青空哲学カフェで久々にみんなとの再会でしたので、雑談も弾み開始が遅れたのと、途中でも脱線が多くなってしまったので、哲学対話の部分は2時間マイナス30分ぐらいの感じでした。
それぞれのトピックに少しずつ立ち止まって考える、そんなカジュアルな感じでした。
文部大臣が「子供はマスクを外していこう」などと言及するように、マスクとの付き合い方はここから変化していきそうなので、このタイミングでマスクについて少し見つめ直せたことはとても良かったかなと思いました。
以上で、今回の哲学カフェの感想を終わりにしたいと思います。
では、また!