ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第54回「親ガチャ」①

<なぜ今「親ガチャ」なのか>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。

社会情勢を踏まえ、2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として細々と楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第54回開催になります。

 

前回の第53回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマ

この日の参加者は9名。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

今回は、ひじき氏が復帰されたので、いつもの通りひじき氏進行役、私ちくわが書記役でやっていきました。

 

この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた

 「親ガチャ」

です。

 

自分のいまの境遇は「運」と言えるの?自分は親ガチャでいうと当たり?はずれ?

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆自分は「親ガチャ」に当たったと思うか、ハズレと思うか

最初はこんなシンプルな質問から始まりました。

今回参加しているメンバーでは、「ハズレだった」という方はいませんでした。

理由としては、

親からの虐待もなく育てられ、教育も受けさせてもらい、今は社会人としてそれなりにやっていけているから。

ニュースであるような、貧困というほどではないから。

 

そもそも、「親ガチャにハズレた」というのは聞きますが、「親ガチャに当たった」というのは聞かないように思います。

ということは、「親ガチャ」は「ハズレ」とセットにして使用するのが正しいのかもしれません。

 

◆親ガチャに「ハズレ」たと思う理由

決して裕福ではないけれど、自分が親ガチャにハズレたとは思っていないメンバー間で語り合うのは、ある意味想像の部分が多くなりますが、「ハズレ」の理由を探っていきました。

・経済的豊かさ

・教育(学歴)

・容姿

・身体能力

おおまかにこの辺、他の人に比べて足りない、劣っていると感じること。

 

「他の人に比べて」というと、SNS時代ではキラキラした容姿や技能が目に入ってくる機会が多く比べてしまい絶望する、、という意見もありました。

 

生産性や効率至上主義、世に蔓延する○○主義、そういったものを自分に多くあてはめ当てはめ、自分で落ち込んでしまっている、というような「社会の価値基準」の取り込みすぎ、という意見も。

 

◆経済的格差だけではない「何か」

「親と子の関係性の分断」というワードがメンバーから出てきました。

親が子どもに対し十分な時間を割けていない、そうすることで自己肯定感が低い子どもになってしまい、その結果、親に対し感謝の気持ちが不足し「親ガチャ」と言ってしまう結果になっているのではないか、という意見でした。

 

確かに、共働きが当たり前になったり、少人数世帯、地域のつながりの減少など、一般的に語られている変化によって、子どもたちは意外と孤立しているのかもしれないと感じたのでした。

 

◆「格差社会」と「頑張ればなんとかなる」の摩擦

「自己責任疲れ」というワードが出てきたのは、後半戦に差し掛かるころ。

 

事実として格差社会は広がっていて、裕福な人は裕福な人としか結婚せず、さらにその子どもは、、というふうに、教育格差も拡大してきている。

そんな中、「頑張ればなんとかなる」という高度経済成長期、バブル時代の価値観を当てはめてしまう、また、今は他人に構っているほどみんな暇ではない。

 

先ほどでてきたような社会の価値基準は「自己責任」を強い、しかし自分で頑張っても状況は変わらない、そんな世の中に対する恨み節が「親ガチャ」という言葉が生まれる背景にあるのだろう、という意見でした。

 

◆「親ガチャ」をポジティブにとらえてみる

「親ガチャは社会問題を顕在化している意味で、ポジティブにとらえられないか」

という意見がありました。

なるほどそういう考え方もあるのか、という意見でした。

 

長くなってきましたので、続きはは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!