<自分の持っている「正しさ」への侵害>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として細々と楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第58回開催になります。
前回の第57回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は13名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
今回は、いつもの通りひじき氏進行役、私ちくわが書記役でやっていきました。
この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた
「軽蔑」
です。
軽蔑って、してはいけないものなの?軽蔑の対象って人によって違う?軽蔑と差別の違いは?
では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。
◆軽蔑する行為
まずはいつものごとく、「軽蔑とは?」を考えるために、「軽蔑」に関する具体例を出してもらいます。
・クレームを繰り返す人
・ごみをポイ捨てする人
・暴力を振るう人
・偉そうにする人
・魂を売る人(自分の大切なことと引き換えに)
・何を考えているかわからない人(表情)
・何回も同じ失敗をする人
・運転マナーの悪い人
・自分がされて嫌なことをする人
◆軽蔑とは?
上記より、軽蔑と言うのは、「人に対する」「イラッとする気持ち、嫌悪感情」であるというふうに考えられます。
しかしただ、気質が合わないだけで「嫌い」なのかもしれない、ということについてはどうでしょう。
マナーの悪さ、倫理感の欠如、など、自分の中にある「正しさ」を逸脱する行為、それが自分の上に降りかかった時、あるいは見かけた時のいら立ち・嫌悪感を「軽蔑」と呼ぶことができそうです。
軽蔑の「蔑」という字を取って、「さげすむ気持ち」=「マウントを取る」という意見がありました。
自分が正しい⇒相手が間違ったことをしている=相手は「低い」人間とみなす。
この辺に「軽蔑の本質」がありそうですね。
◆軽蔑は客観的か、主観的か
「客観的」な軽蔑というのもあるだろうか?
という問いがありました。
「客観的」といえば哲学的で難しくなってしまいますが、広く普遍的な「軽蔑」はあるのか??というふうに言い換えればいいでしょうか。
「犯罪者に対するもの」という意見がありましたが、それに対しても、裁くのは司法であって、罪を犯した者を嫌悪するか・しないかは「個人の感情」であるという意見も。
「客観的」なものなどどこにもない、と言ってしまえばそれまでなんですが、「倫理的」の会でも言われましたが、社会生活をしていると、ある程度普遍的な「倫理」というのが自分たちの中に存在するというのも事実ではあります。
◆軽蔑と差別の違いは?
「軽蔑」と「差別」の違いは?という問いがありました。
これまでの具体例や話しの内容の中に、なんとなくヒントがありそうな気がしましたが、そこに話題が移ります。
長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!