<スマホは道具に過ぎないはず。>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで、課題本について語り合う哲学カフェ
「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
前回書いた内容としては、以下のようなものです。
・この本は、何が言いたかったのか
・無駄にスマホを触っている時間はバカにならない
・スマホは人間の脳をハッキングする技術
・子どもの学力低下は、どう問題なのか?
◆人類は二極化していくのか?
哲学カフェ後半戦は、本の具体的な内容を飛び越えて、そこから連想される未来であったり、その未来と人間との関係性についての話に大部分を費やすことになりました。
色んな話題が出てきましたが、ざっとこんな感じです。
・スマホに生活のほぼすべてを指示されて動いていく世界。
・現在でもある「レコメンド」という機能の行きつく先。
・ウーバーのように、仕事自体がコンピュータ指示の下働きのようになる
・知識が外付けになっていくことで起こりうること
◆SNSとの付き合い方
本文中でも多く触れられている、SNSとの付き合い方については、多く意見がありました。ここも箇条書きにします。
・SNS中毒になる人と、ならない人の違い。
・SNS中毒になっていても、それが治まるタイミングがあるのはどういうことか。
・SNSにも流行り廃りがあって、乗っかるSNSはどう変わっていくのか。
・文字情報から、画像・動画情報への変化
◆「スマホをいじる」という言い方
電車の中で、他の人を見ると、見事に90%の人がスマホをいじっています。
ここで、「スマホばかりいじっていて、世も末だなぁ」とネガティブに嘆くのはもう古いのではないか、という意見がありました。
「スマホをいじる」行為には、ゲームアプリ、SNSのチェック、ニュースアプリをただ漠然と見ている、やっているのイメージがあります。
しかし、この90%の人は既にそうではないでしょう。
スマホを使って、仕事のメールをチェックする人、株の売買をしている人、銀行振り込みをする人、読書をする人、夕飯の献立を考えている人、、。
つまり、「スマホはオモチャではなく、日常の道具」になっているということですね。
◆本当の問題はどこにあるのか
いろいろ回り道をしましたが、「スマホは道具である」ということはキーになると思います。
SNS中毒に関しては、スマホが本当の問題ではなく、その背後にある「世界中の人と容易につながる」という現象。
コンピュータに人間がコントロールされているというのは、背後にある「AIらしきものの発達」という現象。
という風に考えていくと、本当の問題は、コンピュータの進化とインターネットの浸透というところにあるように思います。
スマホはあくまで、それを携帯できるがゆえに、うまく乗っかって一緒に進歩していった道具という位置づけになるでしょうか。
そして、この本が指摘するように、この生活様式の変化は、まだ始まりに過ぎない、これからもっともっと変わっていく、ということについては、考えることが多そうです。
その変化が、人類にとってどうかということと、自分にとってはどうかということとは全然違うような気もしています。
◆終わりです。
スマホは自分たちにとって、切っては切れない存在、24時間ともにいる存在になってしまったので、まつわる話も尽きません。
ただの雑談になってしまいがちでしたが、そこは哲学カフェなので、「それは本当に不幸なのか?」というようなツッコミも、所々にあって楽しかったです。
今回の振り返りは以上になります。
では、また!