みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第61回「好きは嫌いよりなぜ優先されるのか?」②

<テーマ選びは難しい>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

今日は前回の続きで

 「好きは嫌いよりなぜ優先されるのか?」

について書いていきたいと思います。

 

前回の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

前回書いた内容としては、以下のようなものです。 

・「優先」とは、話題を出しやすいことなのか、意見の選択なのか

・「好き」は「嫌い」より本当に言いやすいのか?それはどうして?

・「嫌い」発言は何を生むのか?

・「嫌い」が言えるラインはどこ?

 

◆ネットの世界

「ネットの世界では、『嫌い』な話題をみんなで楽しんでいる」

という意見がありました。

これは、「対象との距離」とも関係があるのでしょうか。顔の見えない者同士の特徴かもしれません。

 

◆「嫌い」が尊重されるとき

「みんなで外食をしたとき、食べ物を選ぶ際、『好き』ではなく、『嫌い』を聞かれ、尊重される」

という意見がありました。

確かにこれは「嫌い」を優先しているように思います。

「嫌い」尊重して避ける、集団的決定の際に、ネガティブな面を回避する意味合いがあるのでしょう。

 

それに続いて、「『嫌い』の尊重が近年増してきている」という意見がありました。

「配慮」とも言うでしょうか。

誰かが不快にならないように、発言に気を付ける。

○○ハラスメントという新しい表現が次々に生まれていく。

このブログのような、ネットで公開できる場が増えたこともあるのでしょうか。

これは、中高年の「もう、何にも言えなくなった」というボヤキの世界ではなく、フラットに、そこに何が起こっているのかもっと考えてみたいテーマではあります。

 

◆不祥事を起こした芸能人

少し、本題からは逸れるかもしれないですが、

「不祥事を起こした芸能人に対し、それでも『好き』と言いにくいのはどうして?」

という意見がありました。

やらかした事の大小にもよりますが、過去の出演作品まですべて販売停止、放映できないなどいささか過剰反応とも思えるぐらいの配慮がなされているように思えます。

 

「元々のイメージからのギャップによっても、反応が異なる」

という意見もありましたが、「嫌い」というのは一筋縄ではいかない例かと思いました。

 

◆終わりです。

今回は、先述したように少しテーマ設定に関しての問題があったように思うので、少し話題が分散したように思います。

つくづく、テーマというのは、言葉の選び方も大切だなと感じたのでした。

 

以上、今回の哲学カフェの振り返りを終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

では、また!