みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第62回「なぜネットフリックスを倍速再生で観るのか?」②

<芸術作品を鑑賞⇒消費へ>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

今日は前回の続きで

 「なぜネットフリックスを倍速再生で観るのか?」

について書いていきたいと思います。

 

前回の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

前回書いた内容としては、以下のようなものです。 

・倍速再生する理由はひとつではなくさまざま

・多くを観たい欲望⇔限られた時間 ⇒タイパ(タイムパフォーマンス)

・つまらないシーンを飛ばす

・お目当てのシーンだけ観たい

・配信による供給過多と、ハードの進化

・人間の処理能力は上がっているのか?

 

◆作り手の表現を正しく理解できない?

「倍速再生、10秒飛ばしには、作り手の表現を正しく理解できないのでは?」

という意見がありました。

 

読書に置き換えて、

「ラストを先に観て読んでしまうこともある」という意見もありました。

これは、ネタバレを先に読んでしまうこともある、ということです。

 

「タイパ」だけの理由でしょうか?

「謎解きの要素を楽しむより、ネタバレを知っておいたほうが(筋がわかっているほうが)ディテールを楽しめるから」という意見も。

 

「倍速再生で流しておいて、『観るべきシーン』があったら、戻って等倍で観る」というのもありました。

実際に尺を稼ぐための不要なシーンもある、という意見には、ある程度理解できましたが、通常の鑑賞の域を超えている印象がありますね。

 

◆消耗品としての映像作品

「映像作品を消耗品として扱ってしまっている」という意見がありました。

芸術作品を、鑑賞する⇒消費するという行為に変化している、ということです。

 

では、消費するということはどういうことでしょうか。

鑑賞するというのは、「その作品と時間を過ごすこと自体を楽しむ」ことを目的にしているような場合と考えられます。

いっぽうで消費するというのは、どこか栄養分を摂取するためだけの食事のような印象を受けます。ただ、知識を得たい、知りたいという欲望を満たしていくだけのような。

 

そうすると、自分にも思い当たるふしはあるかもしれません。こうやってブログに書き込むための読書とか、話題についていくために、人気の作品を観る行為とか。

それは、鑑賞すること<知っておくことになるような気がします。

 

◆終わりです。

この日はいろいろな方向に話題が広がって、もう少し深まりを欠いたという印象はありましたが、もっと深めてみたいというテーマが次々に落ちてきたというポジティブな側面もありました。

 

・なぜ本は飛ばし読みが肯定されて、映像の飛ばし観はダメなのか

・音楽は倍速再生できないのに、映像は倍速再生するのか

・スポーツをリアルタイムで観る場合と、ダイジェストでいい場合

・オンラインにした結果、どんどん時間が短くなっている講義や教材

・1話完結の作品が増えている

・どうして、時間を切り詰めてまで鑑賞しないと(知らないと)いけないのか

 

こういった流れは一方向に進んでいて、ただの流行のように思えない現象も多分にあります。その背景をもう少し考えることで、見えてくるものがあるような気がして、まだまだ楽しめそうなテーマではありました。

 

以上で、今回の哲学カフェの振り返りを終わりたいと思います。

 

では、また!