ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「決壊」平野啓一郎②(ネタバレ有り)

<「他人とは」を徹底的に問いかける作品>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。

 

昨日は、後半のネタバレを控えめに書いていきましたが、この本の感想をもっと書いていくために、今日はネタバレを覚悟で書きたいと思います。

 

※ここより先はネタバレになりますので、ご注意ください。

 

 

 

◆「思い込み」と「すれ違い」

平野作品に特徴的だと思っているのが、「すれ違い」です。ちょっとのすれ違いから、決定的な断絶に進んでいく。「マチネの終わりに」なんかはまさにそうでしたね。

この作品では、いたるところですれ違いが生じた結果、家族に取り返しのつかない分断を生じさせていきます。

 

良介の妻は、良介が妻に言えない内心をブログに書き連ねていたことを知り、夫に信頼されていないと感じ、疑心暗鬼になってしまう。

 

いっぽうの良介は、それを心配した相談した妻と兄の崇の関係を早とちりして、妻を疑ってしまう。

 

良介の妻が警察に対し言ったことに対し、刑事が飛躍した解釈をしたことで、崇が逮捕されてしまう。そこには、「結婚もせず複数の女性と関係を持っている」⇒「犯罪者になる」という論理の飛躍がある。

 

崇が逮捕されたことをマスコミが報道したことで、崇やその周辺に対する国民の見る目が厳しくなる。

 

勝手にこのような「すれ違いからの断絶」こそが平野作品の真骨頂だと思っています。

 

これを通して自分なりに解釈すると、(というか、彼の「分人主義」をお借りしただけなのですが)

「他人(Bさん)という存在について、自分(Aさん)から見えている他人(B)と、見られている本人(B)は同一ではない」

ということであり、もっというと、

 

「自分(A)から見えている他人(B)について同一でないと言った場合、自分(A)から見た他人(B)『見せかけの姿』と、他人(B)からするところの『ほんとうの自分』は違うよ、という一般的な構図でない。」

「むしろ、『ほんとうの自分』などというものは存在せず、その人に対して見せる、いち側面だけなのであって、そこから他人(B)を『○○な人である』と判断してしまうことの危うさ」

を表現しているのだと思います。

 

◆その人が精神を病むということと

そして、そこからもう一つ印象的な出来事があります。それは作中にあった、精神を病んでしまった良介の父に対して、良介が

「どこまでが父さんで、どこまでが、薬でおかしくなった父さんかわからない」

と言った場面です。

 

鬱になってしまったお父さん、鬱になる前のお父さん、鬱になって薬を飲んで変わったお父さん、そのどれが「本当のお父さん」で、自分は果たして「お父さん」としゃべっているのか、「お父さんの病気」としゃべっているのか、もうよくわからなくなってしまっている、という場面になります。

 

こういう状態に置かれてみて、「ほんとうの○○さん」というものは、存在しないんだということを再認識します。

他人(B)というのは、自分(A)が他人(B)に対して接してきた言動によって、結果として自分(A)の心の中に築きあげられているものであり、その他人(B)が精神的なこと等で言動が変化してしまった場合、自分(A)が混乱するのは理解できますが、それが他人(B)を責めるほうに向かっていくのは筋が違う、ということが理解できました。

 

◆もう少しのコミュニケーション!

作品では、すれ違いから決定的な断絶へと進んでいく、という流れであり、良介は殺され、崇はどんどん落ちていき、父は精神を病み、母は追い詰められていき、良介の妻子は戻れなくなり、、という形で悲しい道をたどっていくのですが、何度も感じたのが、「もう少しのコミュニケーションが取れていたら、違ったのでは??」ということです。

 

そこには対話不足が生じていて、それはうつ病によるコミュニケーション障害であったり、警察による物理的分断であったり、当事者と報道の分断であったり、引きこもりになったゆえの家族感の対話不足、夫婦間の踏み込んだ会話が足りなかったこと、一方的なブログの書き込みであったり。

 

この作品は、そういった対話が不足してしまった場面を、うまく作っているように思いました。

これは「マチネの終わりに」でも感じたことで、「あそこであと一言、交わせていたら!!」という歯がゆさでした。

 

当事者間の対話が不足すると、それぞれの中の「その人」像が互いに差異を生じてしまい、その結果不幸な出来事が起こってしまう、そんな物語になっていると感じました。

 

◆社会的問題へのアプローチ

この作品に限らず、平野作品には現代社会における課題が落とし込まれていることが多いと感じます。

 

引きこもりの少年や弱いものへの残虐行為をはたらく行為、印象が犯罪者を仕立て上げる警察・マスコミ・大衆、善と悪の感覚の変化(病気との境界)、ネットの裏サイト、、、。そこそこ身近な話題も多いので、物語に入っていきやすいのかなとも思います。

 

◆自分は、平野作品が好きだということです

などなど、色々書いてきましたが、

自分にとって平野啓一郎の作品を読むことは、「『他人』とはどういうことか」という問いの連続であり、混乱させることで、人間関係というものを理解するきっかけになる、そんな体験であると感じています。

 

以上で、当作品の感想を終えたいと思います!ありがとうございました。

では、また!