<「私有」が進んだ先にあったのは>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本。
内容<amazonより>
私有財産なしで、機嫌よく生きてゆく
銭湯、食堂、喫茶店、縁側……
誰のものでもあり、誰のものでもなく。
『小商い』の終着点を描いた私小説的評論
ミシマ社創業15周年記念企画
『小商いのすすめ』から十年。
消費資本主義がいよいよ行き詰まる中、
「小商いの哲学」を実践するすべての人に贈る。
この社会を安定的に持続させてゆくためには、社会の片隅にでもいいから、社会的共有資本としての共有地、誰のものでもないが、誰もが立ち入り耕すことのできる共有地があると、わたしたちの生活はずいぶん風通しの良いものになるのではないか――本文より
●目次
第一章 欲望の呪縛から逃れる
第二章 非私有的生活への足掛かり
第三章 リナックスという共有地
第四章 共同体のジレンマ
第五章 家族の崩壊
第六章 消費資本主義から人資本主義へ
第七章 共有地をつくる
◆この本は
ボリューム:★★★☆☆(ふつう)
読みやすさ:★★★★☆(読みやすい)
気付き学び:★★★★☆(資本主義疲れを考える)
興味深い :★★★☆☆(行ってみたい)
生産性の御旗の下、目まぐるしく詰め込んでいく資本主義には疲れたが、手にした自由を手放し、前近代的地縁共同体に戻る勇気はない。そこで筆者が実践したオープンスペース「隣町珈琲」の特徴として、匿名性の維持や食い扶持の確保など、学びは多いです。
◆内容紹介・感想
現在の資本主義社会に対する「疲れ」がところどころに出ているような気がします。
この本は、その原因のひとつ、資本主義の特徴である「私有」に焦点を当て、分析するとともに、解決策としての「共有地」を実践し提案する、という内容になっています。
「私有」が引き起こす問題点というのは、この本では、「不要なものが、さらに不要なものを呼ぶ循環」というふうに表現されています。
例えば、靴は足を守って、歩きやすくという機能を飛び越えて、デザインや希少性という価値にこだわっていくと、行き着く先はコレクターです。
持っていれば、持っているほど、さらに欲しくなる。
資本主義は基本的には「成長」を前提とした仕組みである以上、モノが行き届いた社会においては、無理にでも「私有の欲望」を喚起し続けなければなりません。
供給が恒常的に需要を上回っている現代では、主だった仕事は、不要なものをなんとか買わせる努力、という言い方もあながち間違いではないと思います。
重箱の隅をつついたような商品やサービスを提供することに「無意味さ」を感じ、生産性の名のもとに短時間に目まぐるしく詰め込まれた仕事に「疲れ」を感じても、その社会において働いていくしか生きる道はないのでしょうか?それが私たちの獲得した「自由」の結果なのでしょうか?
では、「私有」の進んだ結果として「疲れ」が生じているとすれば、「共有」に戻ることに答えはあるのでしょうか?
しかしそれは、血縁や地縁の共同体においての「たすけあい」を想起させ、私たちはそこに戻りたいか、と言われれば、もう戻れないように思います。面倒なことも多いですしね。
そこで筆者は「共有地」という概念のもと、ある程度の匿名性を維持したまま、自由が担保されている「隣町珈琲」というスペースを運営がひとつの答えとして提示されています。
出資の募り方や運営に工夫がされていると感じるので、興味深いです。
やってみなければわからないとは思いますが、オープンスペースと安定収入は基本的に相性が悪いと思うので、この方は文筆業の収入があるので、そこの課題は感じました。
しかしながら、なにもかも「私有」になった結果として失ったものを、ゆるく取り戻すような感じ、
いつでもそこにその「場所」はあって、だれでも立ち寄ることがゆるされている、「縁側」のような場所、そこに魅力を感じました。
感想は以上です!ありがとうございました。
では、また!