<『自由な選択』が時代遅れになりつつある>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。
◆感想つづき
飢饉・疫病・戦争を克服した人類が次に目指すのは、不死と幸福、そして神性の獲得になるだろう、とこの本では論が続いていきます。
かつて人類は、大いなる自然の流れや、大いなる神の導きによって生かされていたものでしたが、近代に獲得した「自由主義」や「人間至上主義」によって、「生きることの意味」は「自分で意味があると思うこと」とイコールに変化しました。
著者の言葉を借りると、「人間的なものすべてを味わい尽くすこと」ということです。
「悪い」ことは神が決めたことではなく、「それをして嫌な思いをする人がいるかどうか」という基準になってしまったということです。
この自由主義、人間至上主義により、自由な人間の感情を重視した結果、人類は飛躍的な進歩を遂げることができました。そして長らく人類にとって大いなる危機であった、飢饉、疫病、戦争といった問題をほぼ克服することができました。
しかしながら、テクノロジーの進歩は歩みを決して止めることはしません。
そこで、この後どうなっていくのか、と考えを進めるにあたってのひとつのヒントが、「アルゴリズム」という考え方です。
ピタゴラスイッチの「アルゴリズム体操」のアルゴリズムです。一歩進んで前ならえ、パッチンパッチンガシンガシンです。
人間は、自然は、宇宙のすべては、「こう動いたらこう動くという機械に過ぎない」という考え方ですね。
そしてそれが少しずつ解明され、現実に応用されてきています。
「あなたにとっておすすめ」というアレです。
あなたがこれを選んだということは、これも選ぶ可能性が高い、というアレです。
自由主義の獲得によって人間の行動は、個人の趣味嗜好によって、自由に選び取ることができるようになりましたが、その「自由に選び取る」という概念が、この「アルゴリズム」によって崩壊することになります。
その「自由」が、実はただの「機械の動き」だったということです。
著者は「『自由な選択が権威の究極の源泉である』という信念が時代遅れになる」と書いていますが、これが「新しい宗教」に取って代わるということですね。
その「新しい宗教」というのが、「データ教」というものである、と著者は論を続けていきます。
だいぶ、佳境に近づいてきました。
引き続きつらつらと書いていってしまいましたが、今日はそろそろ終わりにします。続きは日を改めて。
まだ、終わりません。
では、また!