<「大いなるデータフローの一部」という立場をどう考えるか?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。
◆感想つづき
著者は「『自由な選択が権威の究極の源泉である』という信念が時代遅れになる」と書いていますが、これが「新しい宗教」に取って代わるということですね。
その「新しい宗教」というのが、「データ教」というものである、と著者は論を続けていきます。
では、「データ教」とはどのようなものでしょうか。
著者は、「全てのモノのインターネット化」という言葉で表しています。
それは、生活のあらゆることをインターネットに接続していく動きで、買い物や料理、仕事や通勤、娯楽など、だけでなく、洗濯機や湯沸かしポットにまでインターネット接続している時代となりました。
それによって、欲しいものを選ぶ手間が軽減され、生活環境が快適に設定され、便利で楽しい日々を享受することができています。
そしてそのためには、私たちが生活していくうえで、テクノロジー企業にせっせと個人的なデータを送信しつづけていかなければなりません。
そしてそのデータの蓄積から、フィードバックを得ることによってその便利が成り立っています。
そこまではいいのですが、著者はその「モノのインターネット化」が進んだ先に何が待っているか、について考えていきます。
その先には、「人間は世界の構築者から、ただのデータに落ちぶれ、そのデータの奔流に飲まれて消えかねない」未来が待っていると言います。
ウーバータクシーや、ウーバーイーツなんかで考えてみると、運んでいるのは人なんですが、その人に指示を出しているのは、すべてコンピュータであり、アルゴリズムです。そのアルゴリズムの指示に従っていたほうが、人間が指示を出すより正確で効率的であるようになっています。
世界の金融取引の大部分は、ロボットによる自動取引であるといいます。それもアルゴリズムで、急な株や為替の変動によって大きな被害を受けたりしますが、その原因がよくわからなかったりすることはよくあります。
つまるところ、個々人の自由な趣味嗜好や選択というものを尊重していく「人間至上主義」とは違い、これからの「データ教」というのは、私たちは選択する必要がなくてただアルゴリズムの言うとおりにしていれば楽しく快適な生活が送れますよ、ということになります。
これは、哲学の大きな転換点といえそうですね。
最後に、著者が投げかけている問いがあります。
「意識はもたないものの、高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく、私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?」
アルゴリズムが世界を動かし、人間が従属的な立場になっていく流れは、どうやら避けられないようですね。
コンピュータが自律的に進化し、人間の想像をはるかに超える「シンギュラリティ」という未来を予想する論調もありますが、それよりはこっちのほうがかなり現実感を帯びているように思います。
しかし、そこでまた「人類はこうなっていく」ということと、「それは自分にとってどうなのか」ということは別問題であるようにも思えます。
選択の自由が「奪われる」ということではなく、そもそも選択の自由は最初から無かったということもできるし、引き続き選択の自由は残されたままだ、ということもできます。
「哲学の大きな転換点かもしれない」とあえて書きましたが、この転換点に対して自分が感じたことは、筆者の思惑とは違うかもしれませんが、新しい価値観への変化というよりは、むしろ古い価値観の回帰ではないかということでした。
「大いなる神や自然」の一部である人類や自分という存在から、人類や自分は世界の中心であり何物にも代えがたい尊重すべきもの、という「人間至上主義」へと時代は移り、さらにその先に待っているのは、「データフロー」という新しい「大いなるもの」の一部へと回帰していくと考えることも出来るのではないでしょうか。
データフローというのは「大いなる虚構」といえるかもしれないですが、そこに押し流されていく人類というのはどうやら止めようがないのであれば、そこに対して自分の泳ぎ方=価値観を変えていくしかないのではないでしょうかね、と感じたのでした。
個人的には、「自分はなんでもできる、無限の可能性がある」という価値観よりも、もう少し「いうても、生身の人間としては何万年も変化していないのだから、あまり欲張っても仕方がない」というほうが強いので、「大いなるもの」の一部に回帰するということは、逆に脅威とはちょっと違うように感じています。
実際、そうなってみないと、わからない部分が大きいですしね。
結論を提示しているわけではなく、最後には問いを残して締めとされています。
この先を生きていく自分たち一人一人が考えていくしかないでしょうね。
以上で、長々と書いてきましたがこの本の感想を終えたいと思います。
ありがとうございました。
では、また!