みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

「クライマーズ・ハイ」 横山秀夫(ネタバレ少なめ)

<下りるために、登るんさ。>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本。

 

内容<amazonより>

昭和60年8月12日、御巣鷹山で未曾有の航空機事故が発生した。その日、衝立岩への登攀を予定していた地元紙・北関東新聞の遊軍記者、悠木和雅は全権デスクに指名される。はたして墜落地点は群馬か、長野か。山に向かった記者からの第一報は朝刊に間に合うのか。ギリギリの状況の中で次々と判断を迫られる悠木。一方で、共に衝立岩に登る予定だった同僚の安西耿一郎はその頃、倒れて病院に搬送されていた。新聞社という組織の相克、同僚の謎めいた言葉、さらに親子の葛藤、そして報道とは何なのか、新聞は命の意味を問えるのかという自問自答――。あらゆる場面で己を試され篩に掛けられる、著者渾身の傑作長編。
著者・横山秀夫がこの当時、地元群馬の上毛新聞の記者であったことはよく知られている。事故の模様を、おそらくもっとも深く知り、受け止めたジャーナリストであったろう。事故から十七年後、主人公「北関東新聞」の「日航全権デスク」悠木に託し、渾身込めて作品化した。それだけでもう秀作であることは保証されたようなものであるが、それを超えて、一人の作家がその生涯において残しうる最良の作品、いわば〝この一冊〟であろうと思われるほどの出来映えである。(後藤正治「解説」より)

◆この本は

ボリューム:★★★★☆(やや厚め)

読みやすさ:★★★★☆(目まぐるしく)

知る   :★★★★☆(新聞のお仕事と、実際に起こった事故と)

感動   :★★★☆☆(なかなかうまくいかない現実もいい)

 

元、新聞記者ならではの視点で渾身の作品。

一発逆転がないところや、組織の論理で動いてしまうリアルさも良いですね。部外者視点で見ると、スクープ合戦、販売合戦に虚しさも感じ、「下りるために、登る」という作中のメタファーを随所に感じます。

 

◆内容紹介・感想

主人公は40歳の地元新聞記者、悠木。

彼は過去に色々あって、部下を持たない遊軍記者としてやっていたのですが、そんな中、単独の航空機事故としては世界最大の事故が、主人公の地元、群馬県で起きてしまいました。

 

1985年8月12日、お盆のラッシュで満員のジャンボジェット機が山に墜落。

(当時私は小学生で、TVのニュースで繰り返し報道されていたのを鮮明に覚えています、ヘリコプターで吊り上げられ救助される生存者の映像が印象的でした。)

 

悠木は日航機事故の全権デスクを任命され、その瞬間から目まぐるしいドラマが始まります。

12日、その日のうちには、墜落地点がわからず、駆けていった記者達も現場になかなかたどり着けません。地元記者としての現場報告を、地元新聞の矜持にかけて、翌日の新聞に載せることができたのでしょうか?

 

その後、事故原因についてのスクープ記事に若手記者とともに果敢に挑む悠木たちの姿は、この本のハイライトです。

作中で、新聞という独特の時間的制約や、社長の意向、権力争いなど、しがらみの中で、悠木が本当に載せたいと思っている記事が載せることができなかったり、うまくいかないことばかりで、本当にもどかしいんです。

池井戸潤小説のように、気持ちのいい一発逆転があるわけではないんです、しかしそれもリアルな現場ならでは。これはこれでよいと思います。

 

報道メディアの特性とでもいうのでしょうか、新聞記者というのは、1分1秒を争う、スクープ合戦の繰り返しという側面を持っているんですね。この真っただ中にいた筆者がそう表現しているから、そうなんでしょう。

ライバルとのしのぎの削り合いといえば聞こえはいいけれど、新聞社という独自のルールの中でゲームをしているだけ、という、どこか虚しさを感じずにはいられません。きっと筆者にもそういう思いがあったかのでしょう。

 

悠木のこの日航機事故全権デスクの職も、日がたつにつれてやがて終わりが来るのですが、その「終わり方」にも注目です。

 

日航機事故という子どもの頃にニュースで触れた事故ですが、知らなかったこともたくさんありましたし、新聞という仕事についても多くを知ることができました。

やはり題材が題材だけに、重苦しさはずっとありますが、読んでよかったと思います。

 

では、また!