<なぜ、そんなに目標は必要なのか?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「目標」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
前回書いた内容としては、以下のようなものです。
・みんなの目標
・「目標」と「計画」の違い
・目標はなぜ立てるのか
・目標を立てないということ
◆会社の「目標」
仕事をしていると、売上予算や、前年比など、基本的に「目標」のもとに日々動いていると感じます。
しかし、この「目標」に対して、あまり達成できていなくても、日々進んでいくよね、という意見がありました。
「目標の独り歩き」という意見もありました。
目標と実態が乖離しているとか、そういう話はよくあるものです。
会社というものは、構造上、毎年成長し続けていかねばならない宿命なので、「目標」ありきで進んでいくのは理解できますが、仕事で慣れてしまった目標管理とかPDCAというものを、日常生活にまで持ち込んでいるということも事実ですね。
◆死ぬまで「目標」
目標は未来に向けてのものですが、自分がやがて死ぬというゴールを見据えるとどうなるか、という話もありました。
「どうせ死ぬから目標なんて決めても一緒」という考え方や、「死を見据えて、老年になってくると、目標は短く」という考え方もあります。
「何歳になっても目標を持ち続けるのが若さの秘訣」という健康食品のキャッチコピーもありますが、どっちがいいんでしょうかね。
個人的には、自分の晩年は家の前の椅子を置いて座っているおじいちゃんのイメージが強いのですが、、。
「死ぬ前にやり残したことがないようにしたい」という意見もありました。
目標からは少しずれますが、「やり残した事」を考えていくと、「生きている意味」を個人個人どうとらえているか、わかるかもしれません。
◆何故、そんなに目標が必要なのか?
「目標を立てて、変わっていく、進化していく、というのは、本当に必要なことなのだろうか?」という問いを前半に投げかけましたが、終盤に改めて問われました。
「ネイティブアメリカンの人と話すと、『自分が変化するのはいけないことだから、目標をたてて追いかけるということはしない』と聞いた」というエピソードを聞かせてくれたメンバーがいました。
「目標を立てなくても、日々平和に暮らしていけたらよいはずなのに、という気持ちははずっとしていた」という意見もありました。
自分なんかは、ここ何年かすごく「目標疲れ」のようなものを感じていて、これは現代特有の現象なのだろうか?と考えたりします。
オンライン技術の発達によって、時間の使い方がどんどん濃密になっていって、過去にできなかったことが一日のうちにあれもこれもできるようになっていって、それも平等に世界中のみんなができるようになったことにより、余計にやりたいことが増えていく、やらなきゃいけないことが増えていく、そんな感じがしています。
◆終わりです。
今回、あっという間の2時間だったように思います。
目標というものはポジティブに考えることが多いですが、じっくり考えていくとなかなか奥が深く、現代の「目標疲れ」なんか考えると、未来はどうなってしまうんだという恐さも感じました。
また、ゲームにたとえれば、ラスボスを倒して目標を失ってしまった瞬間にやる気が失せてしまうということがあるように、
目標というのは、広い意味で言うと日々暮らしていることの基礎となるものでもあり、それが無いと人生何していいかわからない、というふうになる可能性もあります。
以上で今回のオンライン哲学カフェ「目標」の振り返りを終わりたいと思います。
ありがとうございました。
では、また!