ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第67回「ツッコミ」①

<自分の世界観に対する違和感>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第67回開催になります。

 

前回の第66回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマ

この日の参加者は8名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつもの通りひじき氏進行役、私ちくわが書記役でやっていきました。

 

この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた

 「ツッコミ」

です。

 

近年すっかり日常用語となったツッコミですが、コミュニケーションにどう働いているのでしょう。「ボケ」や「ノリ」等と関連付けて考えてもいいかもしれません。

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆ツッコミとはどういう状態か

ボケたらツッコむ。ツッコミとは、別の言葉に言い換えると、どういうことでしょうか?

「間違いを指摘する」、「失態や滑稽を笑いに変える」という意見がありました。

「『ここ、笑いのポイントだよ』と示す行為」という意見もありました。

 

ツッコミはボケを見つける行為であり、また、そのボケを他人に示すことでもあるようです。

 

では、その背景にある「ボケ」を見つけるとはどういうことでしょうか。という問いになってきます。

 

「ボケをスルーする」「突っ込んでくれよ」という言葉があるように、ボケを上手く拾えない場面があるということは、ツッコむことにも能力のようなものがあるようです。

それに対しては、「観察眼や注意力、その人への関心」という意見がありました。

 

◆ボケている人、ボケているつもりのない人

「8月にこんなに暑かったら、12月はえらいことになるでしょうな」というボケがあるとすると、それは、「間違った論理(そんな高尚なもんではないけど)」です。

 

「家族旅行から帰ってくると、お母さんは必ず言うのさ、『やっぱり家が一番ね。』⇒ほな最初から旅行行くな!」という嘉門達夫の歌は、「論理の矛盾(そんな高尚なものではないけど)」でしょうか。

 

この2つのボケの違いは、一方は「ボケ」ているけれど、もう一方は「ボケ」ているつもりではない、ということです。

 

「真冬にTシャツ1枚で出社してくる人」に対して、「なんでTシャツ1枚やねん!」というツッコミはどうでしょう。

Tシャツ1枚の人は、別にボケているつもりはなく、単に暑がりなだけ。

 

◆ツッコミとはどういうことか

こうやって考えていくと、「ツッコミ」は、「ボケ」との共同作業であるとも言えますが、広く考えると、ツッコミ側の一方的な「『間違っている!』という判断」であるともいえます。

 

「ツッコミ」=「自分の世界観に対する違和感」という意見もありましたが、

もっとかみ砕いて言って、「ツッコミ」=「普通はそうはならんやろ!」という言い換えもありました。

 

ここで「普通」という言葉が出てきましたが、哲学カフェでは「普通」に対してはツッコミが入ります(!)

 

ツッコミについて、おぼろげに形が見えてきたところで、次は「世界観」「違和感」「普通」に対しての検討となっていきました。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!