<「ブルシット・ジョブ」とはどういうことか>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本。
内容<amazonより>
やりがいを感じないまま働く。ムダで無意味な仕事が増えていく。人の役に立つ仕事だけど給料が低い――それはすべてブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明。仕事の「価値」を再考し、週一五時間労働の道筋をつける。『負債論』の著者による解放の書。
◆この本は
ボリューム:★★★★★(かなり分厚い)
読みやすさ:★★★☆☆(難しくはない)
気付き学び:★★★★☆(なるほどの宝庫)
考える :★★★★★(解決策が見えない問題でもある)
面白かった!ブルシット・ジョブは給料が高く、エッセンシャル・ワークは待遇が悪いという現実は示唆に富んでいて、これこそ資本主義の本性とも言えるのでは。人間的で複雑な機微を無理に数値化しようと余分なコストを掛けるところも!
◆内容紹介・感想
この本の中で著者が解明したかった大きな問いは、このようなものであると考えます。
・テクノロジーが発達し、どんどん便利な世の中になっているにもかかわらず、いっこうに人間の労働時間が短縮されないのはどうしてか?
・無意味に思えるような仕事が、身の周りにあまりにも多く、しかもそれが増加の一途をたどってはいまいか?
本書では、筆者が命名した「ブルシット・ジョブ」という言葉の定義を以下のように記しています。
被雇用者の本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
まず、ブルシット・ジョブは、「無意味(だと思える)仕事」だということで、「割に合わない仕事(=シット・ジョブ)」と明確に区別されます。
※昨今社会的に問題になっている教育や介護の低賃金・長時間労働は「シット・ジョブ」に分類され、ここで取り上げるものとは少し性格が違ってきます。
具体的には、ブルシット・ジョブは、本書中では5つ程度の類型がなされていて、
ドアマンや受付嬢、ロビイストや広報担当、不具合を謝罪する窓口、書類穴埋め人、中間管理職、などなど、なるほどとイメージできやすい仕事が挙げられています。
そして、その仕事はおそらく「なくなっても問題のない仕事」と著者は述べています。
この本の中には、実にリアルで、心を病んでしまいそうなブルシット・ジョブの事例が多く掲載されていて、興味のある方は読んでみられることをお勧めします。
また、ブルシット・ジョブの特徴として、「無意味で苦痛な仕事のわりに、給料がそこそこ良い」という一面があります。
ブルシット・ジョブは、ただ無意味で苦痛な時間を過ごすことでそれなりの給料を得られるため、外から見れば「別にいいじゃないか」と思われがちですが、実際にこれらのブルシット・ジョブを経験した人々が心身に不調をもたらしていくという、実害をともなうことが問題になっています。
筆者は、こういった「ブルシット・ジョブ」の事例研究を進めていくうちに、具体的な3つの問いに変わっていきます。
・個人的問い:なぜ人々はブルシット・ジョブに同意し、耐えているのか?
・社会的問い:ブルシット・ジョブを増殖させている大きな力とはどのようなものか?
・文化的問い:なぜ経済のブルシット化が社会問題とみなされないのか?
実は、この本を最後まで読んで、「ああ、そういうことだったのか!」という明快な結論は示されていなかったように思いした。
というより、様々な事例をもとに、一緒に考えていくうえで、多くの気付きを得たように思います。
そして、このブルシット・ジョブの問題は、一面だけの問題でなく、様々な背景・要因が絡み合っていて、そんなに簡単に語れない問題であるということがよくわかりました。
なので、これからブログに書いていくこととしては、内容の要約ではなく、極論になりがちなこの本の内容について、本当にそうか?という疑問点や、こうなんじゃないか?という想像を自分なりに書いていきたいと考えています。
しかしいったん、今日はここまでにして、日を改めたいと思います。
今回のは長期戦になりそうです。
では、また!