<自分自身を批判する習慣を忘れないために>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日も、この本の続きを書いていきたいと思います。
◆感想つづき
「自分の意見と違うんで、それは違うと思います」って何も言っていないに等しい。この社会は今、そう気づけるラストチャンスを迎えているんじゃないかと思う。
目の前の「あれか、これか」の選択肢を疑い、違った意見を検討していくことは、負荷がかかることです。
ただでさえ忙しい日常で、「本当にそれでいいのか?」と、立ち止まって疑うことは、貴重な時間を費やしてしまいます。
時間に余裕が無いと、思考停止になったほうが都合が良くて、異質な意見はむしろ恐怖の対象になってきます。
その恐怖が仕事ならまだしも、プライベートではできるだけ、そのようなストレスは排除したいものです。
だから、SNS「フィルターバブル」と呼ばれるものに逃げ込んでしまう。
プライベートで誰にも迷惑がかかっていないのであれば、まぁ、好きにすればいいと思いますが、その理論を仕事の場に還元してしまうと、少々厄介な存在になってきます。
それが、冒頭の引用にある、「自分の意見と違うんで、それは違うと思います」という言葉になるんだと思います。
フィルターバブルの中で自分と同じ意見の人たちと過ごしていることで、そのバブルの内部と外の世界で、少しずつでもギャップが広がっていくかもしれない、という逆の恐怖はないのだろうか、とも思います。
自分の意見を批判してくれる存在の中に、常に自分を置くことで、逆に自分がいる場所を安定させない。そうすることで、自分を微調整しながら社会を泳いでいくということの方が大切なんじゃないかということを感じました。
他人を批判することはそんなに難しくありませんが、自分を自分で疑うことはなかなか難しいものです。
24のエッセイそれぞれに、少しずつつながりがあって、それでいて拡散していっているとこともあり、どこからでもきっかけに話を広げていける、そんな自分にとってはネタの宝庫のような、楽しい本でした。
というような、少々とりとめもないことに終始しながら、そろそろこの本の感想を終えたいと思います。
では、また!