ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

こうべふらんす哲学カフェ4月「意識に影響を与えるものってどんなこと?」

<変化する価値観に取り残されること

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、前回の続きで、先日参加した「こうべふらんす哲学カフェ」のレポートを書いていきたいと思います。

 

◆後半戦では、意識を「変える」ということについて

前半戦では、意識を変えるの「意識」について、時間をたっぷり使いましたが、テーマに立ち返り、「意識を変える」の「変える」の部分について取り掛からなくてはなりません。

 

最初の問いの補足として、

意識が変わらないと、呼び方を変えても結局変わらない。

(例)浮浪者⇒ホームレス⇒野宿している人

のような例からも考えてみたいと思います

という説明がありましたが、ここから、「偏見」や「差別」という方向に、話題が進んでいきました。

 

「偏見や差別は、文化と切り離せない。」

という意見がありましたが、差別というのは、女性蔑視や、カースト制度、黒人差別など、それぞれの文化に根付いていて、なかなかそれを変えることは難しいという意見がありました。

 

頭でわかっていることと、違った行動として表れること。

また、頭でわかっていることと、それでも湧き起こってくる別な感情。

 

努力によって変えられるもの。なかなか変えられないもの。

差別と自己評価の関係。

 

センシティブな話題ではありますが、皆さん理性的に、様々な意見を比較されていて、さすがだなと感じました。

 

しかしながら、「差別」という言葉についての、前提の検討をしていないので、あまり深くいくより一旦テーマに戻ったほうがいいなぁ、と感じていたら、

メンバーの方がうまく修正していってくれたように感じました。

 

テーマに立ち返り、意識を「変える」については、「世界を広げる」「知ることを増やしていく」という方向に進んでいきました。

 

自分の感想としては、

意識を「変える」ことに重点を置く、というよりも、意識を「変えやすい状態に保っておく」こと、

「社会にとっての当たり前」だけでなく、「自分にとっての当たり前」をも、不安定な状態に置いておくことかなぁ、と感じました。

 

最後に、印象的だった話として、偏見や差別というのは文化・習慣とセットになっている以上、近年の急速なグローバル化や、あっという間に価値観が変化していく社会について行けていない、というのがあるのではということでした。

 

だからといって、差別をしている人を擁護するわけではないですが、

確かに、こと価値観に関しては、変化していくこと=正義で、変化しないこと=悪のようになっていて、逆に変化対応できない人が取り残されるという現実があるような気がしました。

 

差別というのはそもそも、それは差別だといわれる前は、差別ではなかったはずで、どういう要件で差別となるのか、その辺も考えてみると別な見えてくることがあるのかもしれません。

 

◆終わりです。

時々、話は逸れたりしましたが、そうこうしているうちに、いつの間にか2時間が経過し、無事に哲学カフェの進行を終えることができました。

 

やり終えた感想としては、この哲学カフェはメンバーそれぞれに個性が豊かで、自分としては実は何もしていないけど、メンバーの方々のおかげでうまく進んでいっただけだったなぁという感じでした。

 

自分はオンライン主体であり、顔を突き合わせながら、飲み物片手に、じっくり語り合う、リアルの哲学カフェはやはりいいもんだと思いました!また参加させていただきたいと思います。

 

以上、こうべふらんす哲学カフェ4月の感想を終えたいと思います!

では、また!