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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

「正欲」 朝井リョウ ③(ネタバレ:あり 注意)

<多様性を尊重するということはどういうことか。>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、先日に引き続き、この本の感想を書いていきたいと思います。

正欲

正欲

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※ネタバレになります。ご注意ください。

 

◆神戸八重子の章

2人目の主人公は、神戸八重子という大学生です。

 

彼女がこの物語とどう関わっていくか、というと、

①学祭の実行委員で、ダイバーシティに関するイベントを行う

②「水がほとばしるさまにしか性的興奮を覚えない」同級生に恋をする

③引きこもりの兄が女子高生モノのAVを観ていたのを発見し、男性に対して恐怖を抱く

 

「水がほとばしるさまにしか性的興奮を覚えない」同級生で、ダンスサークルに所属する諸橋大也という人物が後半部分では重要人物になっていきます。

諸橋大也はそのような特殊性癖のため、八重子は彼に若者特有の性的な目線を一切感じることなく、安心感をいだく存在として、またハンサムな顔立ちでもあることから、恋をしていきます。

※もちろん、かなり最後のほうになるまで、八重子は彼がそういう性癖であることは知りません。

 

八重子の章でのテーマとなっているのが、ひとことで言うと「多様性の尊重とはどういうことか」になるかと思います。

作中で八重子たちは、学祭において、ダイバーシティについて考える「ダイバーシティフェス」というイベントを開催します。

そこで、人種や性別といったものでの差別や偏見について考えていき、みんなの考えをアップデートしていこう、というものです。

 

しかし、諸橋大也にとっては、このイベントにダンスサークルとして参加しているのですが、いまいち乗り気になれません。

それもそのはず、自分の特殊性癖は、この「ダイバーシティ」の枠外にあるもので、決して理解や共感を得られるものではないと知っているからです。

 

多様性を理解・尊重し、「私たちが率先して偏見や差別をなくしていこう」、と前向きに頑張っている八重子たち。

対して、大也のような「理解や共感を得られない部類」に入る人たちにとっては、理解してほしいというのではなく、「そっとしておいてほしい」という気持ちのほうが強い。

この両者のかみ合わなさが、この八重子の章の核になる部分であると思います。

 

「多様性を尊重して社会をアップデートしていこう」とがんばる八重子たちにとっての「多様性」とはどのようなものであるか、いま一度考えてみてほしい。

ということを朝井リョウさんは問いかけているのだと思います。

 

「私、偏見ないんで」と言っている人ほど、偏見があるものだ、という話は有名です。

前回も書きましたが、「水がほとばしるさまにしか性的興奮を覚えない」大也たちに対しては、自分に害は及ぶことは少ないですが、別の例を考えると、どうでしょう。

例えば盗撮が趣味の人、小動物を痛めつけることに快感を覚える人に対しては?

 

そういった人たちに対して理解や共感を進めて、一緒にやっていこうと思うでしょうか。

そう考えると、「多様性」というのも、「受け入れられる範囲で」という但し書きがつくのではないでしょうか。

 

最後に、諸橋大也が八重子に対して、決定的な説教をおこなうのですが、そこはこの物語のハイライトといっていいでしょう。

それを受けて、八重子は大也の特殊性癖について知り、「それでも、理解していきたいと思っている、そのために、やっぱり話し合いたいと思う」と言います。

 

しかし大也は、「自分が望んでいるのはそういうことじゃない。どうやっても理解されない人種は、目立たないようにそっとしておいてほしい、だかわ自分の前から去ってほしい」という意見を繰り返します。

 

「どうせ社会に迷惑をかけるから、放っといてほしい」にだって、正しさがあります。そうして「多様性を尊重する社会」とはどういうことか、を再考すると、「理解しようと努力しあう」ことではなく、うまく言えないですが「本人がただそこにいてもいいと感じられること」ではないかな、と思いました。

 

八重子は大也との出会いを通して、理解するということはどういうことか、という問いについて考えるようになっていきますが、大也には八重子の周りの友達を含めて「自分たちが理解してあげなければ」という気持ちでいる、ことを的確に指摘しています。

 

多様性を考えるということは、「常に自信がないまま、ソロソロと暗闇の中を進んでいく」そんな姿ぐらいが正解なのかなぁとも感じました。

 

しかし、さらに俯瞰して考えると、批判している大也自身も彼女たちのことを「決めつけている」という点では同じであり、大也自身も批判される対象になり得るということです。

朝井リョウさんのメッセージはいつだって、いったんはキツく感じるのですが、そればかりではなく、しっかりお互いに問いかけることを忘れない、そんな印象を持ちました。

 

というところで長くなってきましたので、続きの部分は日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!