ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「正欲」 朝井リョウ ④(ネタバレ:あり 注意)

<少数派が「生きていてもいい」と思えること>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、先日に引き続き、この本の感想を書いていきたいと思います。

 

正欲

正欲

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※ネタバレになります。ご注意ください。

きっと今日で終わります。

 

◆桐生夏月の章

今日はいよいよ、この物語の核となる主人公、桐生夏月についてです。

 

桐生夏月は、神戸八重子の章でも出てきた諸橋大也と同じ、

「ほとばしる水にしか性的に興奮しない」当時者であり、

4人目の主人公にもなる、佐々木佳道の中学校の同級生でもあります。

 

彼女が中学生のとき、

新聞に「水道の蛇口を盗んで男が逮捕され、その容疑者が『水を出しっぱなしにするのがうれしかった』と供述した」という記事があったことで、

クラス内が盛り上がったという、この物語の中での、象徴的な出来事がありました。

 

そこで同級生が発した言葉が

「水を出しっぱなしにするのがうれしかったいうて?なんよそれ。意味わからん。まじウケる。でもキチガイは迷惑じゃなあ。」

という言葉。

しかしこの言葉に、クラスでたった2人だけ、「意味わからんくなんかない」と思ったのが、桐生夏月と佐々木佳道でした。

 

桐生夏月は現在、ショッピングモールの寝具店で働いています。

しかし職場では、付き合った・別れたとか、結婚したいとか、そんな話ばかり。自分のことは一切話せない夏月にとって、日々は孤独感と同義。

 

そこに偶然来店した元同級生に、別の元同級生の結婚式兼・同窓会に誘われるということになり、そこで、なんと離れ離れになっていた佐々木佳道と再会します。

 

そこで2人がどうしても確認したかったこと。

それは、お互いが観ているユーチューブ動画のことでした。

学校に行っていない少年2人が、視聴者のリクエストに応じて、水風船を割ったりしている動画です。(そう、あの動画チャンネルです)

そこにリクエストを送っている常連が、あなたではないか、ということ。

 

しかしお互い「あなたではないか」と確認しているということは、お互いそうではないということ。

3人目の同趣味を持った人がいる?という謎を残して、2人は離れ離れになってしまいます。

 

佐々木佳道は食品会社で製品開発の仕事をしているサラリーマン。夏月同様、会社では普通に働けているものの、女性に関する話がまったく通じず、社内では変人扱いされてしまっています。

 

そんな夏月と佳道が、偶然再会するのが、12月31日、大晦日の寒い夜。

お互い、職場での出来事などで、精神的に追い詰められていて、もう死んでしまってもいい、と思っていた時でした。

なんとか2人は、近くの一緒にビジネスホテルに避難することでなんとか死なずに済み、そこから2人は同居することに。

2人は話し合って、結婚することにした結果、なんとそれぞれに向けられていた悪意は収まっていくようになります。

※もちろん、2人の間には甘い新婚生活のようなものは一切ありません!

 

そして、例の少年のユーチューブ動画に現れる「3人目の仲間」を探すこととなり、2人はなんとか「生きていてもいい」と思えるよすがを見つけることとなります。

 

そこから、衝撃のラストへと移っていくのですが、そこはあえて書かずにおきますね。

 

ここからは感想です。

 

「普通」という言葉は、時として凶器になりうる、ということです。

「そうはしないやろ、普通。」というふうに、「普通」という言葉を日常的に使うときには、その「普通」は、誰かにとっての普通ではないということを意識しているか、ということを、朝井リョウさんはまず伝えたかったのだろうと思いました。

 

そして、その「普通」は、マジョリティ側が決めていくことであり、マイノリティ側がそれに合わせようとするから、合わせねばならないと感じるから、「生きづらさ」となっていく。

長らく究極的な「普通」とされてきた、男女が性行為をして子を残していく行動ですら、疑いなく普通と呼ぶことにためらいを覚えられるように、時代が変化していっていることはすごいことです。

 

夏月と佐々木佳道が最後のほうで、交わす会話のひとつひとつが、読んでいてすごく新鮮で刺激的なものに思えるのは、やはり自分の持っている「普通」を壊されていく感覚を得られるからだと思います。

 

そしてやはり、ここでも、諸橋大也のラストシーン同様、マジョリティ側に対する責めだけで終わらないところを設けています。

それは、マジョリティ側だって、その多数派に留まるために必死なんだという表現がなされているところです。

 

マイノリティ側である夏月と佐々木佳道が、ネットの世界を利用して、同志を見つけ、その人たちとひっそりと生きていく道を選ぶことができたのに対し、マジョリティ側は団体が大きい分、弾き出されないようにいるのはエネルギーを要するということなんだろうと思いますが、こんな発想につなげていくのも、朝井リョウさんの凄いところだなぁと感じました。

 

というところで4日間にわたって長々と書いてきましたが、実はまだまだ書ききれていない感想もあります。しかしそれもしぶといので、この辺でやめておきたいと思います。

最後に、本当にお薦めしたい本が1冊増えたことをお伝えして、終わりにします。

 

ありがとうございました。

では、また!