<結局人類は、なぜ危険を冒してまで日本を目指したの?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。
前回の記事はこちら。
◆感想続き
実際の航海実験は、①草束舟 ⇒ ②竹いかだ舟 ⇒ ③丸木舟 という順番で行われますが、①や②では、推進力が小さく黒潮の流れに負けてしまうことがわかります。
東に進みたいのに、北向きの黒潮の流れにどんどん持っていかれるので、目標の島にたどり着くことができません。
せっかく長い時間をかけて作った舟ですがこれでは渡れないということがわかります。
しかし、実験に失敗はつきもの。プロジェクトメンバーはむしろ次の目標に向かって楽しんでいるようです。
そして、最後に挑んだ、大木をくりぬいてつくる、③丸木舟です。
さらなる資金を集めるため、丸太から石器で削っていく舟づくりを公開で実施しているところも楽しそうです。
そして、いよいよ本番の航海実験、台湾~与那国島を竹いかだ舟で渡る実験です。
移住する前提での航海実験ですので、複数人乗れていることと、その中には女性もいないといけないことから、男女合わせて5人が漕ぎ手になり、約3日間の航海となります。
実際の漕ぎ手には、シーカヤックのプロフェッショナルを呼ぶ用意周到さ。
いちばんの難所は黒潮を横断することですが、そのほかにもいろいろな謎があります。
最大の謎が、台湾の一番高い山からはやっと与那国島が見えるものの、出発地点からは目標の島が一切見えないということです。
なので、どうやって3万年以上前にナビゲーションして行ったかということです。
これには、「ポリネシアの伝統ナビゲーション術」なるもの、太陽や月・星・風などから方角を割り出す技術を持つ方に協力を仰ぎます。
確かに、ここからもっと遠く、西はマダガスカル、東はイースター島までたどり着いたことから、きっとこの技術を活用したのだろうと思いますが、それにしても月や星の出ない夜は恐怖だろうと想像できます。
睡眠は?食料や水は?トイレは?等の疑問も読めばわかります!
実際の航海の模様は、是非この本を手に取っていただきたいので記載しませんが、それはそれはハラハラドキドキ危険だらけの大航海でした。
そして、公開実験を終えてみて、最初の問いである
「人類はなぜ、豊饒な台湾の地を離れて、わざわざ危険な航海を冒してまで、日本列島に移住したのか?」
についての、筆者の考察です。
正直、この公開実験から得られた結果は、
「いけたかいけないか、かなりぎりぎりのラインであり、相当に危険であるということは間違いない」
「船を準備するコストも甚大なものである」
ということであり、相当な労力と危険を伴う航海であることは間違いなかったです。
筆者の見解としては、東方に(日いづる方向)に、本当にかすかに見える小島を目指したのは、好奇心、冒険心だったのではないだろうか、ということです。
どうしても移住しなければならない必要性というのは、おそらくなかっただろうと考えると、人類を突き動かしたのは冒険心、チャレンジャー精神ということ。
あの島には、きっと見たことのない何かお宝があって、誰も手をつけていないなかで、ひとりじめしてやろう!と思ったかもしれません。
もしくは、現代でも冒険家はそういう実利を求めるわけでもなく、ただ「チャレンジすること」の楽しさを追求しているという側面もあるので、3万年前にそういう人間がいたということも想像することはできますよね。
無人の日本列島にたどり着いた人類はどういう気持ちだったのでしょうか。
九州にたどり着いた時点では、既に対馬ルートからたどり着いた人が先に住んでいたのでしょうか。
壮大なドラマが想像できる、スケールの大きい話ですね。
そんなドラマに挑んだ、とても楽しいノンフィクションでした!
以上で、この本の感想を終えたいと思います。
では、また!