<「場所」というより「状況」>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第99回開催になります。
前回の第98回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は7名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
今回は、いつも進行役をしてもらっているひじき氏がお休みのため、進行役をvan_k氏にお願いし、私ちくわは書記役を担当しました。
この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた
「居場所」
です。
居場所があるorないとはどのような状態なのでしょう。
居場所は自分にとってどういう意味を持ちますか。
居場所に必要なものは、場所?人?
では、哲学カフェ、スタートします。
◆「居場所」とは?
まず、「居場所」と、ふだん使う場合、どのような状態を指すか、についての問いが出てきます。
「居心地の良い場所」「リラックスできる場所」という意味で捉えるのか、
家庭でもなく職場でもなく。いわゆる「サードプレイス」を指すのか。
この前提についての議論が、なかなか時間がかかりました。
ということは、それだけ奥行き(広がり?)のある言葉だといえるかもしれません。
家庭とか、職場とかは、「居場所」といっていいのか?
それについては、「居場所」と言えるのなら、当てはまる、という意見が多かったと思います。
では、どういう前提があれば「居場所」といえるのか?という問いになります。
「リモートでの仕事がメイン」というメンバーがいましたが、そこは自分の居場所だと感じているということでした。
オンラインゲームを「居場所」と感じている人もいるように、物理的な「場所」で無くてもいいようです。
安心できる「人」=「居場所」だという意見もありました。
自分は「所属感」というものが重要だとも感じました。
このように、「何に対して」「居場所」を感じているのか、ということはますますわからなくなってきているように感じました。
◆「居場所」ではないところ
逆に、「居場所」ではないところはどういうところか、という問いが出てきました。
知らない人がたくさんいるところ、や、親戚の集まりで所在なげになるところ、
という意見が出てきました。
「逆に、知らない人ばかりの方が居心地が良いということもあるのでは?」
確かに、そういう人もいます。
では、やはり「居場所」とは何なのかということがわかりません。
◆「場所」というより「状況」
「場所」や「人」というより、「そのような状況」だという意見がありました。
対象を状況だとするとしっくりくるように思いました。
では、「そのような状況」とは、どのような状況か?という問いになってくるわけですが、今まで出てきた意見の要素を入れていってもいいと思いましたし、さらに話題が広がっていきました。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!