<力の拮抗が大事なところ>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「勝ち負け」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆「自分に勝つ」とは?
勝負は相手がいてこそですが、「自分に勝つ」「己に勝つ」なんて言葉があります。
自分に勝つ「自分」とは勝負を挑む「自分」とどう違う?
こんな問いが出てきました。
具体例は
・サボりたい時に頑張って踏ん張る
・二度寝したい時に頑張って起きる
・トレーニングや勉強を続ける
「誘惑に勝つ」という言葉も出てきましたが、ある行動をとろう(とらないでおこう)とする「自分」に別の自分が「勝つ」ということになるでしょうか。
◆勝負になる、ならない
「自分に勝つ」の話の中で、「自分に勝つ」には、ちょっとしたことが多い
という意見が出てきました。
例えば、二度寝をやめるとか、ちょっとした勢い(?)でできますが、勉強のために3日間徹夜するとかは、「勝負」ではなく、もう「無茶」です。
ここから、「勝負になる条件」という話に転じました。
勝負になる条件は、「勝負にならない」という言葉が、大きなヒントになりました。
勝負にならないのは、それは相手との間に大きな力の差がある場合ですので
勝負というのは、「力が拮抗している」ということが大切であることがわかります。
相撲にしても、将棋にしても、力の差がありすぎると「ワンサイドゲーム」とかいいますが、面白くありません。
ある程度力が拮抗していて、その中で生まれる「勝ち負け」とは別の「勝負」というものに、価値が生じて来るのでは、という意見が出てきました。
◆どうして、勝ちたがるのか
「どうして、そんなにみんな勝ちたがるのか?」
という問いが終盤に出てきました。
生存競争、そこから来る資源の奪い合い、という運命についてはあまり異論はないのですが、不要とも思える「勝ち負け」があるように思うのも確かです。
「勝ち組」「負け組」という線引きがあります。
年収700万円がどうとか、元々そこに勝ち負けは不要なのに、赤の他人と勝ち負けを決めようとする。
他人より少しでも上の身分にいたいと思う人。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。
終盤に差し掛かり、話題が広がってきました。
・負けず嫌いということ
・負け癖がつく
・負けることがわかっている勝負
今回のテーマ「勝ち負け」に関しては、仕事、生活においても日々ついて回ることを実感した哲学カフェとなりました。
以上で、今回の、みんなの日常哲学カフェ「勝ち負け」の振り返りを終わりたいと思います。
では、また!