<「必要」と「不必要」の線引きはどこにあるのか>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場(ZOOM)で開催しています。
※今のところ、クローズドでの開催です
今回は、第102回開催になります。
前回の第101回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆この日のテーマ
この日の参加者は7名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、話したい人は挙手し、1人ずつ話すという方式をとっています。
進行役は私ちくわが行いました。
この日のテーマは、
「買っているのか、買わされているのか」
です。
ついつい予定外のモノを買ってしまうのは何故でしょうか?
それは「必要」なのか、「欲しい」のか?
流行は提供する側が作るもの?
付加価値、差別化、需要を生み出す、等のビジネス用語との関連も考えると面白いかもしれません。
では、哲学カフェ、スタートします。
◆買わされていると思うもの
50年前の本「百年の孤独」が、いま流行っているから、買って読んでいる、という話から始まった今回の哲学カフェ。
「令和の米騒動」で米を買いだめをする、といったニュースがありましたが、必要以上に「買わされている」という例かもしれません。
地震や台風が来ると、「これを備えましょう」とTV報道をうけて買いおきしようとすると、品薄になり、ますます焦ってしまう、という流れ。
「買わされている」というと、企業の広告宣伝によって踊らされている、という構図を思い浮かべるのですが、災害や社会情勢によって起こることはきっかけが企業ではなくニュースであるということも。
「買い続けているから、買うのをやめると、なんか気持ち悪い」
という興味深い意見も。
ここからギフトなどの話も出てきました。
◆必要とはどういうことか
「本当に必要なものだけを買うとしたら、経済は回っていくのだろうか?」という問いがあったのですが、
「買わされている」ものに関しては、「必要でないもの」というイメージがくっついてきます。
では「必要」「不必要」という線引きはどこにあるのでしょうか?
という問いについては、今回の哲学カフェの中で最後までついて回ったように思います。
「買いだめ」にとっての「必要」はどこにあるでしょうか?
「安心感」という言葉が出てきましたが、これも、人により、時代により、いろいろ考える部分がありそうです。
ロボット掃除機や自動調理なべは「必要」なのでしょうか?
家事をする時間がないほど仕事が忙しい人には「必要」であるような気がしますし、「不必要」とまではいかないけれど、「あったらいいな」という中間もあるように思います。
◆時間を買っている感覚
「時間を買っている」という意見がありましたが、時代と共にその傾向が強まっていっているように感じます。
自分の親世代、おじいちゃんおばあちゃん世代は、いろんなものを手作りしたり、修繕したり、していましたが、私たちはそれらがほとんどできなくなっています。
時間がないとか、やる仕事が違っている(自分たちの出来る仕事の範囲が狭まっている)というふうにも考えられます。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!

