<背徳感は自分の中で、罪悪感は他者との関係性で>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場(ZOOM)で開催しています。
※今のところ、クローズドでの開催です
今回は、第105回開催になります。
前回の第104回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆この日のテーマ
この日の参加者は10名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、話したい人は挙手し、1人ずつ話すという方式をとっています。
進行役は私ちくわが行いました。
この日のテーマは、
「背徳感と罪悪感」
です。
似たような言葉、背徳感と罪悪感はどう違うのでしょう?
背徳や罪悪に「感」が付くとどう意味が違ってくるでしょう。
具体例を出しながら、話し合っていきます。
では、哲学カフェ、スタートします。
◆まずは具体例から
いつものように、具体例から。
<背徳感の例>
・こってりラーメン、替え玉
・濃厚スイーツを食べる
・高級な買い物、無駄遣い
・体に良くない食べ物
・不倫
<罪悪感の例>
・食べ物を残す
・ずる休み
・車で動物をはねてしまう
・遅刻する
・相手を傷つけることを言った
この他にも、いくつか出てきましたが、抽象化した表現も出てきます。
・背徳感は淫靡な響きがある(不倫とか)
・罪悪感は他人に植え付けることができる
・背徳感は自分の中でしか起こらない
◆他人に植え付ける罪悪感
「罪悪感は他人に植え付けることができる」
という意見がありました。
背徳感はそうではありませんが、罪悪感は与えることによって他人をコントロールすることがあります。
「あなたの言動によって誰かが迷惑を被った」と聞かされると罪悪感を持ちますが、それに尾ひれがついてエスカレートしたりすると、オロオロさせられる。
相手がそうなることを楽しんでいる人もいるんじゃないか、とも。
◆時間が経って起こる罪悪感
上記の例を経て、「『罪悪感』は時間が経っても起こってくる」という話になりました。
コンプライアンス違反の例がありました。
昔はけっこう誰でもやっていたため罪悪感を持たずにやっていた行動をがあって、今になって振り返って罪悪感をすごく感じたというものです。
SNSアカウントを聞かれたが、教えたくなかったので教えなかったら、「『友だち』じゃないの?」とあとで非難され罪悪感を持たされた、という事例もありました。
◆背徳感は現在進行形
対して、背徳感は現在進行形では、という話になっていきます。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!