みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

みんなの日常哲学カフェ第105回(オンライン)「背徳感と罪悪感」②

<背徳感は現在進行形で、罪悪感は時間が経っても感じられる

 

おはようございます!ちくわです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

今日は前回の続きで

「背徳感と罪悪感」

について書いていきたいと思います。

 

前回の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆背徳感は現在進行形

「背徳感は現在進行形でしか感じられず、罪悪感は時間が経っても感じ続ける」

という意見がありました。

 

例えば不倫における背徳感はその場での現在進行形で、後になって罪悪感に変化していく、ということでしょうか。

 

◆「やろうと思えばできたはず」の罪悪感

「あの時、手を差し伸べていれば救えたかもしれない」というように、後悔からくる罪悪感についての話題が出てきました。

 

その場合、「やろうと思えばできたはず」がポイントであり、お金が無くて、自分も危険で、そういうどうしてもできない場合は、罪悪感がないのか、という話も興味深かったです。

 

先ほどの「SNSアカウントを聞かれたが教えなかった」罪悪感にも当てはまるのでは、という話もありました。

 

◆ルールを破る「背徳感」

ダイエット中に好きなものを食べていい「チートデイ」というのがあるそうです。

これによる「背徳感」は、自分で設定したルールを自分で破るという、なんとも自作自演なものですが、これでも背徳感は得られるものですね。

 

「『当たり前』を外れる背徳感」という表現もありました。

障子の張り替えのときに破るとき、茶碗を投げて割るサービス(?)、

普段、しないことが当たり前のことをあえてすることに、背徳感が得られます。

 

最後のほうに、「タブーを犯す」という言葉がでてきましたが、ここまで話してきて、しっくりきたような気がしました。

 

◆終わりです。

哲学カフェは2時間が来たら終わりです。

 

今回は似たような使い方をする言葉を並列したテーマとしましたが、最後まで話してきて、充実した哲学カフェだったという印象を持ちました。

 

背徳感は○○だが、罪悪感は△△だ、というような言い方が多く出てきて、そこからまた具体例が出てきて、さらに、新しい××や□□が出てくる、という感じでした。

 

以上で、今回の、みんなの日常哲学カフェ「背徳感と罪悪感」の振り返りを終わりたいと思います。

 

では、また!