<お互いの評価と、カスハラ意識>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「接客の接客」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆店員がロボットの場合?
店員(サービスの送り手)が「人」ではない場合、どうか?という話題になりました。
ガスとの配膳ロボット、顔がネコになっているという例がありました。
ああいうキャラクターになっていると、逆にこっちがよけようとしてしまう。
普段、配膳が人間の場合は、客優先の動きになりがちですが、ガストの場合はネコロボット優先になるというおもしろい例です。
◆カスハラという考え方
ここ数年とくに、「カスハラ」という考え方が浸透してきています。
カスハラを考えることで、つい「接客の接客」を心掛けてしまう、という意見がありましたが、行き過ぎた「お客様は神様」文化が見直されているのは、店側にとって良いことだと思いました。
フリマサイトでは、買う側が売る側を評価するのに加え、売った側が買った人の評価もできるようになっているとの話題になりました。
飲食店アプリ等では客側が店舗を評価するものですが、このように、売り手が買い手を評価することができると、フェアになる、という意見がありました。
また、自分がもしカスハラのような態度を取っていたら、その店員さんがいつの日か自分の仕事のお客さんとなって登場する可能性があるかもしれないから、気を付けるという話もありました。
◆接客として、どこまでを求めるのか?
「接客」というものを、「本来のサービス」(美容院であれば髪を切る、スーパーであれば食品を買うなど)とは別の、サービスを円滑に行うスキルだとすると、と考えます。
客は基本、「本来のサービス」を受けに行くわけですが、そこに気持ちのいい「接客」が加わると、お得ですし、接客をする従業員によって差があればなおさらです。
客側が、その「接客」をどこまで「当たり前のもの」と考えているかどうかによって、とらえ方は変わってくる、という意見がありました。
サービスの提供者側は、どこまでの接客を充分とするか、客側はどこまでの接客を必要と思うか、はたまた過剰と思うか、によって、その都度変わってくるのでは、という話題になりました。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。
今回は、「接客の接客」という、まずタイトルにインパクトがありましたが、内容は日常的に各人が感じている疑問であったため、こんな場合はどうかな?といったふうに次々と具体例が出てきて、盛り上がりました。
後半になるにつれ、「接客の接客」についての背景について迫っていく、そんな展開になりました。
とても楽しかったです。
以上で、今回の、みんなの日常哲学カフェ「第一印象」の振り返りを終わりたいと思います。
では、また!