<ややこしい言葉だということだけはわかった>
おはようございます!ちくわです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場(ZOOM)で開催しています。
※今のところ、クローズドでの開催です
今回は、第123回開催になります。
前回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆この日のテーマ
この日の参加者は6名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、話したい人は挙手し、1人ずつ話すという方式をとっています。
進行役は私ちくわが行いました。
この日のテーマは、
「あざとい」
です。
「あざとい」といえば、田中みな実さんに代表されるような、女性に対しての言葉として思い浮かびますが、男性に対してははどうでしょうか。
この言葉はポジティブに使うでしょうか、それともネガティブ?
「ぶりっ子」「したたか」と言い換えるとどうでしょう。
では、哲学カフェ、スタートします。
◆「あざとい」はどういう行為なのか?
「あざとい」という言葉は、どちらかというと私の普段の生活とは縁遠いので、メンバーに「あざとい」具体例を出してもらいます。
上目づかいとか、ボディタッチとか、素直(そうに見える)態度とか、が出てくるいっぽうで、
「飲み会でサラダを取り分ける」といったシーンも出てきます。
また、「SNS上で弱音を吐く」といったものも出てきましたが、これは異性に対して気を惹く行為とは違い、不特定多数の人物の関心を誘う行為です。
ネガティブに使うか、ポジティブに使うか、という最初の問いに関しては、
「もともと、ネガティブに使っていたように思うが、最近はポジティブに使っていることがほとんど」という意見がありました。
◆「あざとい」が成立するために
「あざとい」とはどのようなシーンで成立するでしょうか。
「あざといなあ」「あざといやつだ」というのは、おもにそういう行為をしている他人に対して抱く感想です。
「そこに何らかの意図を感じる」という意見がありましたが、
例えば「飲み会でサラダを取り分ける」というシーンにおいては、
単に「みんなが食べやすいようにサラダを取り分ける」という行動の裏に、
「『まめに動ける人』という印象を与えたい」という意図を感じる、
ということです。
しかしながら、サラダを取り分けている人に、「まめに動ける人という印象を与えたい」という意図がないかもしれません。
あくまで、外からその人を見ての推測でしかないからです。
なので、当人の意図に関わらず、外から見ている人が「あざとい行為だ」と感じたら、それは「あざとい行為」であり、その人は「あざとい人」ということになるのではないでしょうか。
◆「あざとい」のややこしさ
そうやって考えていくと、「あざとい」はそこそこややこしい言葉であるように思えてきました。
たとえば、ある女性Aが、職場の同僚の男性Bに「事あるごとに上目遣いをする」、と仮定して、「あざとい」と感じるのは男性Bではなく、それを見ている第三者Cである場合が多いように思うからです。
この場合、当事者Bは「あざとい」という評価をしていませんが、第三者Cが「あざとい」という判定をしているという構図になります。
そう考えていき、「『あざとい』が成功するのと、失敗するので、表現は違ってくるのだろうか?」
という問いが出てきます。
しかし一方で、「『あざとい』が成功するって、どういうこと?」という問いも出てきます。
考えていくほど、わからないことが増えていくのでした。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!

