私ちくわは関西を中心に活動している読書会、「彩ふ読書会」に、
昨年5月からサポーターとして活動しています。
3/17(日)は第4回京都開催でした。
午前の部:推し本読書会
午後の部:課題本読書会(宝塚ファンの社会学)
夕方の部:哲学カフェ(カフェフィロさん主催、彩ふ読書会協力開催)
夕方の「哲学カフェ」のレポートの後編です。
休憩して、進行役が持ち込まれた、コーヒーマシン(!)でコーヒーを飲んで。
◆ いいオススメとは何か?
という問いがありました。
それに対し、
「自分の『すすめたいもの』が、相手の『すすめてほしいもの』でもある。」
つまり、「すすめる」対象に「共通認識」があるということ。
という意見がありました。
なるほど、これはちょっと核心をついているかも知らません。
◆「すすめる」に結果責任は必要か?
この問いは、とても面白い切り口でした。
例えばレストランを「すすめた」結果、相手が「行ってみました、おいしかったです!」という答えが返ってくると嬉しいし、もうひとつの反応だと「ごめんね」という感情になります。
はたまた、相手は行ってくれないかもしれません。それも残念ですよね。
「すすめる」行為は、情報発信するだけでなく、ある程度、反応・結果を期待しています。
「すすめる」には「リターン」を求めるか?という問いにもつながりますね。
そこで、発言はしませんでしたが、ネット社会では「スルー」という概念もあるな、ということを思い出しました。
twitterなど流れるメディアでは、誰かの発信した「おすすめ」は、興味のあるものだけに反応し、興味のないものは「スルー」すればよい、というルールです。
いちいち「それはおもしろいとは思えない」とかは言いませんよね。
「すすめる」の概念にも時代と共に変化する、ということもあるかもしれません。
◆好きなものを、熱量を持って「すすめる」
こんな意見もありました。
「マツコの知らない世界」で、あまり知られていないニッチな対象について、情熱的に紹介するマニアの方と、引き気味に相手するマツコ・デラックス。
これは、一方的なイメージだけど「すすめる」なのか?そうでないのか?
相手が求めていないことについて、「こんな世界もあるよ」と紹介することは「すすめる」なのか?ということですね。
◆その他の意見
・「すすめられる対象」は特定の誰かか、それとも多数の人か?
・「じぶんが好きでないもの」をすすめることはあるか?
・「自分と同じものを好きと思っている人」を探したい、という欲望もある?
・「すすめる」と「アドバイス」は違うのか?
などなど、思い出せないぐらいいろいろな意見が活発に出ました。
◆時間が来たら終わり
18:00になったら、唐突に終わりです。
カフェフィロでは結論をまとめたりはしません。モヤモヤしたまま終わります。
終わってから色々考えてしまうのも哲学カフェです。
私が今こうやって、書いていてもうまくまとめられないぐらいです。
◆始まる前の「すすめる」と終わった後の「すすめる」
認識が変わったと思います。
「すすめる」は、相手がいて、対象への納得があって、結果は問うか問わないかしれないけど、これはコミュニケーションそのものである、ということを感じました。
独りよがりの「すすめる」も多かったのかな、と反省もしたりして。
◆今日感じた事
・上は60代、下は20代と、年齢層も男女もばらばらで、多様な発言が出てきて面白かったです。
・ちょっと展開が速かったかな。初めての方、話すのが苦手な方(私も)も付いていきやすいように、ゆっくり進めるほうがいいと思いました。
・やはり実体験をもとにした話が、共通理解を得やすいです。「私はこういうことがあった」「こういう失敗があった」とか。
・4か月越しの計画で、ひとつの夢が叶いました。カフェフィロさんと彩ふ読書会に感謝です。
・またやりたいです!次は自分で進行役をやってみようと思います。
では、また!