<結局、何だったのか。>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、前回に引き続きこの本について書いていきたいと思います。
前回の記事はこちら。
◆内容紹介・感想・続き
前回は、本の前半部分の紹介と、おおまかな印象、
「戦争は人間の顔をしていない」、「前線の兵士」、「狙撃兵という兵科」について感想を書いてきました。
この物語の中では、戦争と女性ついても多く語られています。
狙撃兵として勇敢に戦う彼女らが戦場を離れた時に見せる少女の姿。
女性が兵士として前線で戦うソ連軍と、対照的に語られるドイツやアメリカ。
そして、戦地での性暴力についても触れられています。
ドイツ軍だけではなく、ベルリンに向かうソ連軍においてもそのような事実があった記述があります。
この小説は、女性の狙撃兵が勇敢に闘った記録なのですが、決してそこで終わらず、それを美化することはせずに、戦争が持つ悲惨な側面がしっかり記されていて、読者が知っていくことが重要なのだと感じました。
そして、この小説のもうひとつの重要なポイントが、戦争が終わってからの物語にあります。
狙撃兵としてのセラフィマや仲間にとって、独自の話題に「スコア(仕留めた敵の人数)」というものがありました。
その「スコア」が戦時中に持っていた英雄的意味と、戦争が終わってからの悪魔的意味にまったく変わってしまったことが一番印象的でした。
また、政治的にも、スターリン死後彼のやり方を公然と批判する新政権に対し、多くの国民は「自分たちが命を懸けて守った『祖国』とは何だったのか」という虚しさが伝わってきます。
結局、「女性を守るために戦う」と宣言したセラフィマにとって、追っていた「敵」とは何だったのでしょうか。
最後に、筆者が現在のウクライナ情勢に向けて込めたであろうメッセージに触れ、80年前の戦争はまだ終わっていないということを一読者として強く感じたのでした。
以上で、感想を終えたいと思います。
では、また!