みんなの日常哲学カフェ&北摂読書サークル

哲学カフェ、読書会の記録を中心に書いています

旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

みんなの日常哲学カフェ第123回(オンライン)「あざとい」②

<漢字では「小聡明い」と書くらしい

 

おはようございます!ちくわです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

今日は前回の続きで

「あざとい」

について書いていきたいと思います。

 

前回の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆ポジティブか、ネガティブか問題

「あざとい」はポジティブか、ネガティブか、という問いについては、両方の意見が並立していました。

 

たしかに、「計算高い」という言葉に関しても、ネガティブな評価である一方で、称賛の言葉にも使われるのと同じでしょうか。

そこから「ネガティブが、ポジティブに変わる要素はなんだろう?」という問いになっていきました。

 

また、「わたしは『あざとく生きていこう』と宣言した」という場合、

「『他人を評価する言葉』ならば、自分に対して使っているのはおかしいのか?」という問いもありました。

 

これは、「あざとい」と評価する行為の典型例が、「あざとさ」という名詞となって自分に固定され、その「あざとさ」を自分にあてはめてみている、ということでしょうか。

 

◆「あざとい」と嫉妬心

「あざとい」を他人に対して使う時、それを使って他人を貶めることにどんなメリットがあるのだろうか?

という意見から考えていきました。

 

先述の「あざとい」を第三者が判定している場合として、

行為によって詐欺のような問題があるとすれば、指摘する必要がありますが、

「思わせぶりな行為」のように倫理的に問題ない範囲であれば放置しておいてもそれはしょせん他人の話なのではないでしょうか。

 

※そもそも、「あざとい」は、ほめ言葉でしか使わない、というメンバーもあったのですが。

 

そこには、「嫉妬心」が入っているのではないか、という意見です。

あざとい行為によって、異性を惹きつける、他人より贔屓してもらえる、という人を見て、自分にはできない嫉妬心から、「あざとい」と言ってしまう、ということです。

 

嫉妬心があると考えると、「それは、『あざとい』を称賛に使う場合でも当てはまるのでは」という意見が逆に出てきました。

 

◆異性を惹きつけるプロの振る舞い

「水商売のお姉さんは、『あざとい』だろうか?」

という問いがありましたが、そういうものだと思って接しているから、あまり「あざとい」というのとは違うかな、という意見でした。

 

そこから、田中みな実さんのように、「あざとい」を持ち芸にしてしまった場合や、

女優さんの「あざとい演技」をどうとらえるか、というように話が広がっていきました。

 

◆終わりです。

哲学カフェは2時間が来たら終わりです。

 

「あざとい」とは、ある行為の裏に、別の「意図」を潜ませていて、その「意図」を他人が読み取って評価する言葉、というふうに言えると感じました。

 

そこから、言葉の使い方、意味合いが人によって異なる、幅が広いということがわかり、その比較が楽しかったですし、

「この方はどっちの視点で言っているのか?」と聞き分けながら、いろんな考えが出てくるという、かなり頭を回転させながらの時間でした。

また、嫉妬・羨望、自分との比較、といったものが絡む複雑な言葉であるように感じました。

 

以上で今回の、みんなの日常哲学カフェ「あざとい」の振り返りを終わりたいと思います。

 

では、また!