みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

哲学カフェに参加しました あまがさき哲学カフェ 園田哲学bar 「子供」 後編

こんばんわ。ちくわです。

 

 「哲学カフェ」というものに興味があって、「園田哲学bar」に参加してきました。これで4度目の参加となります。

  

cashewnut27.blog.fc2.com

 

日時:4月5日(金) 19:00~21:00

場所:園田地区会館

参加者:17名 (多分それぐらい。うち進行役1名)

「予約不要」ですので、仕事終わりに寄れます。

 

それでは、後半のレポートです。

 

 

◆子供と大人の境界線とは?どうなったら大人?

ここを掘り下げることは、子供を定義づけるうえで、おそらく重要なポイントです。

出てきただけでもこれぐらいあります。

・実家から離れて独り暮らししたら

・就職したら

・結婚したら

・子供を持ったら

・性的に成熟したら

・他人に対する思慮分別がもてたら

・責任感をもったら

・大人になるための村の「通過儀礼」をクリアしたら

 

精神的、経済的、社会的、肉体的。

判断基準がひとつではなく、同基準であっても程度の差もある。

ここらへんが「哲学カフェだなあ」と思いました。

 

◆親子関係について

「子供」といえば、いままでさんざん語ってきた「大人に対する子供」の意味よりも、第一に「親と子供」の関係上の「子供」の話を忘れてはいけません。

 

・親にとって子供はいつまでたっても子供

・親を亡くした後も、自分の行動に親の影響を受けるもの

・自分では「大人になれていない」と思っていたけど、子供をなんとか成人させた。

 

親子関係というものは、本当にその人その人持っている経験によって語られるものが違います。

それを聴くことにより、自分の生い立ちや、いまの育児について、考えることを可能にさせてくれますね。

 

◆最後に

この「子供」というテーマを前回提案してくださった方、「彩ふ読書会」のメンバーなのですが、最後の以下のような発言がありました。

「『子供になりたい』と思っている人が案外多くて嬉しくなった」

 

理屈っぽくて、どこか窮屈に生きてしまっている私にとって、(自分もたどってきたのですが)「子供」というものに憧れを抱いてしまうのですよね。

 

◆今日の感想を2つ

・「子供」に対する「大人」という対立概念を設けるたので、対話がスムーズに広がった。しかしながら、いったんそれを決めてしまうと、そこから抜け出しにくい面もあるのではないでしょうか。

 

・参加人数が過去最多の17人でした。人数が増えると発言機会を逸してしまうことも増えるし、発言を遠慮してしまう心理も働くかもしれません。少なくても多様性が無くなりますしね。人数はどれくらいがやりやすいのでしょうかね。

 

この日は都合により延長戦のお好み焼きは、辞退させていただきました。

延長戦の模様はこの方のブログを参照ください。

 

syodokeidiary.blog.jp

 

レポートは以上です!

では、また!