<しっかり「哲学」しています>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第97回開催になります。
前回の第96回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆今回は「哲学的推し本を紹介し合う会」
今回は、いつもと異なり、番外編「哲学的推し本を紹介し合う会」となります。
「この本は哲学的だ」と思う本を順番に紹介していくという趣旨になります。
哲学系の書籍だけでなく、小説、新書、コミックなど、本人が「この本は哲学だと思う」本ならなんでもOK、となります。
この日の参加者はのべ5名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
今回は、いつもの通りひじき氏進行役、私ちくわが書記役でやっていきました。
◆紹介された本
実際に紹介された本を紹介し、コメントとともに掲載していきたいと思います。
①
何かが「できる」ようになるとはどういうことか。
意識しないことは命令できない、でも、やったことがないことは意識できないという、パラドックスに対し、テクノロジーはどのように手助けできるか。
映像解析や、VR技術、「養成ギプス(?)」などの技術の最前線を紹介されています。
体の動きって、意識するのも難しくて、それを言葉で説明するのはもっと難しいっていうのがわかりますが、それをさらに飛び越えて、「体に任せてみる」というアプローチは新鮮でした。
②
時は1970年代、高度成長時代。
社会人に向けた「生きがい論」講義の収録です。
「こう生きるべき」ではなく、「どう生きるか?」を思索するための問いがあふれています。
際限のない成長追求の行き着く先は?その未来にだれが責任を取るの?
生きがいってそもそも何?生きがいがある前提で考えていて、生きがいがなくなった時、あなたはどうする?
③
ケアの解説書であり、学説史でもあります。
フェミニズムの運動の中から生まれてきて、政治思想として展開していく。
男性は外に働きに出て、女性はケアをするという社会構造、
身近なケア(子供、年老いた親)が社会の中で見過ごされている、対等に扱われていない、現状があります。
ケアの考え方を中心として世の中を捉えなおすとどうなるのか?
この考え方を通じて、今の社会で起きていることを考えたくなったきっかけと、紹介者は語りました。
④
とても不思議な絵本です。
各ページにはりつけられている封筒を開け、便箋を開いていかないと読めない。
絵本自体が文通になっているという珍しい構造です。
そしてその内容も、文通相手の正体がわからないというとても不思議な絵本とのことです。
調べてみると、3部作みたいです!
⑤
帯に書かれているように、この方、死ぬまで「いい女を抱くためだけに私は大金持ちになった」という人生哲学を貫き通したというところです。
のちにワイドショーをにぎわすことになる「紀州のドンファン」の貴重な自叙伝。
地位や名誉、広い家は全く欲しがらず、昼は働き、夜の街へ足繁く通い、おねえちゃんに貢物を氏せっせとデートに誘う。
⑥
古今東西、死後の世界のお話。
霊界へ行ってきた人のお話。
独特の哲学をもつギャグマンガ家が楽しく紹介する「死後の世界」です。
以上で、紹介されたすべての本を振り返りました。
今回も、いずれも「哲学的」というお題にふさわしく、「○○についてじっくり考える」という本が多かったです。
ありがとうございました。
では、また!