<絵を、文章と別に考えてみる>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今日は前回の続きで
「絵本哲学カフェ:悪い本」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
※内容は、この絵本のすべての中身について触れていきますので、ネタバレが困る方はご注意ください。
◆絵と文章が合っていないような気がする
哲学カフェ前半は、文章の内容についての議論がメインでしたが、後半はガラッと雰囲気が変わって、絵についての疑問・感想で盛り上がりました。
というのも、この絵本、読み解こうと進めるにつれて、
「絵と文章がどうも合っていない」
ということを感じます。
そもそも絵と文章をセットで考えてはいけない、ということなのかもしれません。
だとすると、けっこう特殊な構成であるということがいえます。
いったん、文章は置いておいて、絵だけを追いかけてみるとどうなるか。
そうすると、次から次へと疑問が湧いてきます。
・女の子が部屋を飛び出して、逃げるように駆け出して暗い森に入っていったのはなぜか。
・なぜ、サルのぬいぐるみの顔が怖いのか?
・猫のぬいぐるみは誰が壊したのか?
・最初に出てきた赤ちゃんのぬいぐるみが後半に出てこないのはどうしてか?
・どうして、クマが、最後巨大化しているのか?
・サルの顔に止まっていたアリが、最後に死んでいるのはどういう意味?
そんな中、こういった材料から自由にストーリーを推測していくという展開になっていきます。
なかでも、「なぜ少女はわざわざ森に入っていったのか?」というところが肝心になっています。
そこがどうも、クマに問い詰められた(脅された?)結果の後ろめたさを感じたところから、この少女は過去に森にぬいぐるみを捨てたのではないか、というストーリーがけっこうそれっぽい仮説なんですが、いかがでしょうか。
そのほか、この家は引っ越した後の家に置き去りにしたぬいぐるみの逆襲だという説など、想像が膨らみます。
◆ホラーとしての側面
この絵本、文章に関しては大人向けというか読ませる文章になっていますが、絵に関して言えば、子供が怖がるような、なかなかホラーな絵になっています。
どの部分が怖いか、次から次へと、指摘がありました。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。話がまとまっていなくても終わります。残りは皆さんのお土産にもなります。
今回は絵本哲学カフェということもあって、「悪い」という点から深堀りして話したのは主に前半で、後半は絵に関して楽しく検討し合うというような展開となりました。
検討を終えてみれば、絵と文章が合っていない(いるように思えない)という難しい絵本だったという印象ですね。
メンバーから指摘がありましたが、この絵本に使われている漢字は「悪」と「本」だけというところも工夫を感じます。
以上で、オンライン哲学カフェ「絵本哲学カフェ:悪い本」の振り返りを終わりたいと思います。ありがとうございました。
では、また!