<どうして、不確かな情報を見てしまうのか。>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第71回開催になります。
前回の第70回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は9名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
今回は、進行役のひじき氏がお休みのため、急遽、とーま氏に進行をお願いし、私ちくわはいつも通り書記役でやっていきました。
この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた
「口コミ」(くちこみ)
です。
「口コミ」は現代用語とはいえ結構前からある言葉ですね。
口コミによる情報を重視してしまう場面はどんな時でしょう?
そこにはどういう心理があるんでしょう?
口コミとマスメディアを比較するとどんな特徴が見えるでしょう?
では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。
◆アマゾンレビューのコメント
「口コミ」という言葉をネット検索すると、
とあります。
元々は、「マスコミ」に対しての造語として使われだした言葉のようです。
「マスコミ」は、新聞やテレビなどの媒体から発せられる情報のことなので、そうでない素人からの情報のことを「口コミ」と呼びます。
口コミには、身近な人からの、「あのラーメン屋美味しかった」とか「あの掃除機使いやすかった」とか、評価や感想について伝え聞くものがあります。
1960年代と言えば、ネットもなかった時代なので、このような身近な人から伝え聞き広がっていく形を「口コミ」と呼んでいたのでしょう。
いっぽうで、現在はネット全盛の時代となり、アマゾンレビューのような、見ず知らずの一般の人々が商品を評価している意見を情報として参照するということも「口コミ」の一種とみなしているようです。
「口コミ」に対して、まず起こった問いとしては、
「私たちは、専門家でもないこれらの人々の情報をどうして求めるのか」ということです。
「マスコミ」といえば真っ先に思い浮かぶのが、「広告」です。
「広告は良いことしか言わない」という意見がありました。
広告には誇大広告や嘘のようなものも非常に多くなっています。特にネット上の広告は無法地帯のようなもの。
だから、売り手の信じられない広告情報より、使用者の生の声が知りたい、というのはあります。
「良い点より、デメリット情報を求めている」、「広告に載っていない新情報を求めている」という意見もありました。
◆どこまでいっても、しょせん、不確かな情報
次に、「どうして素人の情報を信じるのか、それとも、そもそも信じていないのか」という問いです。
「店員の接客が良かった」や「注文してからかなり待たされた」などの事実を述べているならまだしも、
「美味しかった」や「コスパが良い」という口コミは、しょせん、人それぞれな感想です。
「悪かった点を知りたい」という欲求がありましたが、それとて、悪意のある情報かもしれません。
感想は人それぞれだということは先刻承知でも、それでも見ていしまい、ある程度参考にしてしまう心理というものはあります。
◆発信する側の心理
「レビューをネットに書き込んだことはあるか?」という問いがありました。
発信側の心理から考えてみようとする問いでした。
そうすると、皆さん意外とやっていない、という感じでした。自分も似たような感じでしたが。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!