<やっぱり、「非日常」でしょうか>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第84回開催になります。
前回の第83回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は9名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
今回は、いつも通りひじき氏が進行役、私ちくわは書記役を担当しました。
この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた
「祭り」
です。
祭りって、何のためにやっているのでしょう。
危険なのとかもあったりしますね。
そもそも、お祭りは好きですか?
参加したいですが、それとも、観覧したいですか?
お祭りって「男だけのもの」の場合が多いのは何故?
海外の祭りと、日本のものとの違いから感じることは?
では、哲学カフェ、スタートします。
◆「祭り」の具体例
まず、いつもの通り具体例から入っていきます。
・学園祭、文化祭
・地域の盆踊り、みこしやだんじり
・世界の牛追い祭り、トマト投げ祭り
・音楽フェスなどのイベント
・結婚式やお葬式
・パレード 優勝パレード、軍事パレード
・スーパーのチラシ「大感謝祭」とか
・誕生日会、好きな芸能人を祝う「生誕祭」
・クリスマス、ひなまつり
・選挙(テンションがお祭りぽい)
祭りといえば、自分は、おみこし・だんじりなどの日本的なのがまず浮かびましたが、
なかなか色々出てきましたね。
◆「祭り」に必要な要素
これら具体例から、共通点を探したり、お祭りに必要な要素を皆で考えていきました。
・非日常、ハレ
・特別感
・お祝い
・お祈り
・目的、テーマ
・人に見せる
・人が集まる
・盛り上がり、高揚感
・盛り上がりの持続時間
その中でも、最後まで重要視されたのは、「非日常」だったと思います。
「お祝い」や「見せる」という観点で行くと、どうしてもそうでないものが出てきますが、非日常という言葉はどの祭りにも入っている気がしました。
◆「祭り」の分類
「祭り」をいくつかの分類軸で分けてみる、という試みもなされました。
まずは、「神聖なもの」と「世俗的なもの」です。
神さまが関係するものと、そうではなくとも人が集まって盛り上がるもの。
そして、「農村的なもの」と「都市的なもの」。
農村的なものとは、神さまが関係するものが多いですが、住民だけで行うものが多いですね。
対して、都市的なものとは、ハロウィンや音楽フェスなど、誰でも参加できるものという印象があります。
◆「祭り」と「式」との違い
「『祭り』と『式』とはどう違うのか?」
という意見がありました。
結婚式やお葬式、成人式、神事も「式」があります。でもそれは「祭り」とも呼ぶことがあります。
特殊なところで言うと「地鎮祭」と言う、盛り上がりもなく儀式だけの祭りもあります。
「式」は区切りで行うもの、楽しむというより完了させることが目的、という意見もありました。
◆「参加する」か「観る」か
「踊る阿呆に、見る阿呆」という言葉がありますが、祭りはしばしば「参加する」と「観る」に分かれています。
だんじり祭りの、曳く人と、観客席の観客をイメージするとわかりやすいです。
しかしこの後、この分け方はなかなか一筋縄ではいかないということがわかってきます。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!