みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

哲学カフェの記録を中心に、読書記事も書いています

旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第83回「共感」①

<相手の気持ちを理解する+その気持ちになる>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第83回開催になります。

 

前回の第82回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

 

◆この日のテーマ

この日の参加者は9名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつも通りひじき氏が進行役、私ちくわは書記役を担当しました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「共感」

です。

 

よく使う言葉ですが考えてみると意外とよく分からない言葉。

「共感」とはどういう状態なのでしょうか。

共感はコミュニケーション上どんな効果をもたらすでしょう。

「共感力」という言葉もありますが、能力(才能)なのでしょうか。

「共感すること」と「共感を表明すること」は違うのでしょうか。

では、哲学カフェ、スタートします。

 

◆「共感」の具体例

まず、いつもの通り具体例から入っていきます。

・「その気持ち、わかるよ、大変だったね」という言葉

・友人の、腹が立った話を聞いていて、自分も腹が立ってくる

・痛がっている動物を見て心が痛くなる

 

共感とは、いつもに比べて、具体例があまり上がってきませんでした。

・自分は、あまり共感しない

・共感してほしくないことがある

 

という意見もありましたが、共感という言葉は使うけれども、なかなかこの言葉、すり合わせるのが難しい言葉であるようです。

 

◆「共感」と「理解」の違い

「理解はするけど、共感はしない」という言葉があるように、理解という言葉を考えていくと、「共感」がわかってくるでしょうか。

「お店で店員さんの態度がこういうふうに悪く、腹が立った」という話を友人から聞いたとして、それを、

「たしかにそれは腹を立てても仕方がない態度だね」ということが「理解」で、

「それを聞いていて自分まで腹が立っていた」ということが「共感」。

 

相手と同じ気持ちになるということが共感のポイントなのではないか、という意見がありました。

「理解」+「○○」が共感になるところのポイント、というふうに感じました。

 

◆「共感」してもらいたい

「『あるある話』というのがあるが、自分だけじゃないことを確かめて、安心感を得たいという気持ちから」という意見がありました。

これは共感なのでしょうか。

こういうふうなことを思ってしまう、こういうふうなことをしてしまう、、。

 

いちばん使われている「共感」は、「賛成、賛同」の意味が強いのでは、という気がしました。

「自分はひとりじゃないことを確認する」というのは、人間の欲求のひとつなので、そこに「共感」という言葉が使われているのは理解できます。

 

しかし、メンバーの話を聞いていると、「理解」と「共感」の差があまりなかったりする人もいるし、個人差があるように感じました。

 

◆「その気持ち、わかるよ」という「共感」

「『その気持ち、わかるよ』という『共感を相手に伝える行為』は、本人が本当に共感しているかどうかとは別問題」

という意見がありました。

 

ここから、「共感する」こと、「共感を伝える」こと、「共感を求める」こと、それぞれする側/される側入り乱れてきましたが、どうやら分けて考えてみたほうがいい、という感じがしてきました。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!