<祭りは参加するか、観るか。>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「祭り」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆「参加する」か「観る」か
「踊る阿呆に、見る阿呆」という言葉がありますが、祭りはしばしば「参加する」と「観る」に分かれています。
だんじり祭りの、曳く人と、観客席の観客をイメージするとわかりやすいです。
しかしこの後、この分け方はなかなか一筋縄ではいかないということがわかってきます。
「音楽フェスにとって、観客は観客ではなく参加者」という意見がありました。
観客はただ「観ている」のではなく、その祭りを一緒に作っているのであり、不可欠な存在であるということになります。
だんじり祭りや阿波踊りはどうでしょう。だんじりなど神事がもとになっているものは神事が目的で、阿波踊りも盆踊りの一種なので地元住民が一緒に踊るのが目的で、それぞれ一般観覧は副次的なものですね。
音楽フェス、フードフェスなどの近年のイベントはむしろ経済的活動でもあり、観客がいないと成り立たないし、観客が観に来ることが主目的になっています。
あなたはお祭りに参加するのが好きですか?どちらかというと観るだけがですか?という2択の質問は難しいということになります。
◆祭りと「テーマ性」
「ただの飲み会と、○○祭りはどう違うのか?」という意見がありました。
そこでひとつ出てきたのが、祭りには「テーマ」が不可欠では?というものでした。
なんのために集まるのか?ということになります。
最初に出てきた「目的」と言えるかもしれません。
そこから、
「祭りはひとりでもできるのか?」という問いに派生しました。
そこからさらに、
「生誕祭」というワードが出てきました。
推しのアイドルや、キャラクターで、ファンが誕生日にお祝いをするというものです。
これだったら、ひとりでもできそうです。
◆祭りは「男のもの」
最後のほうに、
「祭りには女性を排除しているものが多い」という話になりました。
全ての祭りというよりも、伝統的なものに多いかもしれませんが、みこしや神事のたぐいは祭りのプレイヤーが基本的に男性中心の場合が多いですね。
変わりつつあるものもありますが、その祭りが「文化の継承」である以上、男性中心という価値観まで継承されてしまっているということが考えられます。
あと個人的ですが、勇壮なお祭りにありがちな「荒々しい雰囲気」はどうも好きにはなれません。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。話がまとまっていなくても終わります。残りは個々のお土産にもなります。
「祭り」について、自分が最初に思っていたのとはかなり広い範囲の話になったという印象ですね。いろんな話が出てきて、面白かったです。
祭りの本質にたどり着くには、もう少し時間が必要ですね。
以上で、今回のオンライン哲学カフェ「祭り」のレポートを終わりたいと思います。ありがとうございました。
では、また!