<成長も「評価軸」ありきかも>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、半年に一度程度オフラインで集まって開催している哲学カフェのレポートになります。
今日は、前回に引き続き、みんなの哲学カフェ「成長」の続きを書いていきたいと思います。
前回の記事はこちら。
◆「人間的な成長」とは?
「『仕事面での成長』と『人間的な成長』は別物だ」という意見がありました。
確かに、皆そんな気がしているのは事実ですが、果たして「人間的な成長」とは何だろう?という新たな問いがそこで生まれてきます。
イメージとしては、「他人に対する配慮」とか、「情緒的なもの(我慢ができる)」とか、が思い浮かびますが。
「神さまの教えようなふるまい」という、意見がありましたが、これが一番しっくりくるように思いました。
利他の精神とか、自己犠牲の精神とか、自分<他人(社会)という行動ができるようになると、「人間的な成長」と感じるというか。
では、対して、「仕事面での成長」とは?と問われます。
ここでも、さまざまな例が出てきました。
・自社の売り上げを伸ばす(成果を出せる)
・会社や上司の期待(要求)に応えられる
・話し方、礼儀、マナーといった、社会人としての振る舞い
・自分の仕事スキルの向上
「人間的な成長」のイメージと重なるものもあれば、「仕事能力」に特化するものもあります。
「『少々ズルいこと、汚いことをしても、成果を上げられる』のは成長?」
という面白い問いもありました。
「ビジネスや政治はキレイ事だけでは、結果はついてこない」という言い方もあるように、「仕事面での成長」と「人間的な成長」の先には摩擦が起きる場合もあるのでしょうか。
漠然と、「仕事面での成長」はある一部分(ジャンル)であり、その背景に広く「人間的なもの」があるんだと感じていましたが、よく考えてみると、「人間的な成長」というのも、ひとつの価値観にすぎない面もあり、それも一部分なのかも、と思ったりしました。
成長とは?を考えたとき、「ポジティブな変化である」と「継続的な変化を前提とする」というワードを出しましたが、
もうひとつ、「評価軸」という要素が不可欠であるような気がしました。
ここで、最初に出てきた「期待に応えるもの」、という意見が自分の中で再検討されるのでした。
◆「成長」と「幸せ」はトレードオフなのか?
「『成長』を追うために、『幸せ』を犠牲にする」
という意見がありました。
この場合の「成長」は「勉強」とか「自己啓発」と言い換えるとしっくりくるかもしれません。
しかし、「『成長』と『幸せ』は直接関係なくて、『成長した先の成果によって得られる(作り出す)幸せ』が問題だ」
という意見もありました。
最初に出てきた、「成長には『ヨイショ』というエネルギーが要る」という考え方がここで活きてきます。
◆「成長圧力」という言葉
「これを受けて、『成長』を目指さない人への批判・圧力を感じる」
という意見がありました。
「どうして、成長を続けないといけないのか、成長を追わないことは悪なのか」
というふうにも言い換えられます。
これについては、社会的な要請という面で、仕事を通して社会に役に立つ人間であることが求められる背景が強い、という意見がありました。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。話がまとまっていなくても終わります。残りは個々のお土産にもなります。
今回、「成長」について、色んな切り口で批判検討され、さらにメンバー全員が満遍なく意見を話すことによって、それがさらに新たな問いや発見を促す、なかなか理想的な展開になったのでは、というのが感想です。
久々に対面での哲学カフェだったこともあり、より「聴く」に注力したかんじがあったので、他のメンバーにもそういったところがあったのかもしれません。
終了後、恒例となりつつある「誰かが持ってきたカードゲームで遊ぶ」という余興も楽しかったです。
以上で、今回のオンライン哲学カフェ「成長」のレポートを終わりたいと思います。ありがとうございました。
では、また!