ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第90回「優劣」①

<個体差による優劣と、文化的な優劣>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第90回開催になります。

 

前回の第89回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

 

◆この日のテーマ

この日の参加者は5名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつも通りひじき氏が進行役、私ちくわは書記役を担当しました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「優劣」

です。

 

動きの速い人と遅い人、長生きと短命、早起きと寝坊、金色と銀色、並列で置いとけないのは何故でしょうか。そこから、人やモノに対して優劣を付ける意味を考えていきたいと思います。

では、哲学カフェ、スタートします。

 

◆「優劣」とは?

今回、最初の問いが「どうして、ただの『違い』に対して優劣をつけたがるのか?」にあらかじめ告知されていましたので、そこを目指して話がはじまりました。

 

しかしまずは、「優劣」とはどういうことか?を問わねばなりません。

いつものように具体例から考えていきます。

 

走りが速い、力が強い、背が高い、知識が多い、などに関しては、原始時代を想像すると、動物的に生存確率が高まることがわかります。

ゲームキャラクターの攻撃力・守備力とかの「パラメータ」を想像するとわかりやすいかもしれません。

 

現代に置き換えると、「仕事ができる」ということが大きく幅を利かせてきます。

早起きができたり、1日にたくさんの作業ができたり、先を読むことが上手だったり。

 

鉱物でも金銀ダイヤとその辺の石ころの優劣は、金銭的価値がある、見た目が綺麗、などの意味を持ってきます。「希少性」というワードも思い浮かびます。

希少性というのは、人にとって言うと、できる人が少ない、頑張らないとできない、そんな能力のことがイメージできます。

 

◆生存確率や希少性に関係しない優劣

いっぽうで、そういった生存確率が高まる特徴や、金銭的価値の高いもの以外にも優劣があるのが気になるところです。

 

人種差別なんかが最も特徴的で肌の色の違いや特定の民族を差別迫害するという歴史で、そこには迫害される側が「劣」ということにされています。

貴族の「作法」を例に出した方がいましたが、その「作法」に従うことを「優」とし、その作法に従わないものを「劣」として疎外しました。

 

最初の生存確率を高める優劣を「個体差による優劣」とするなら、個体差のないものに優劣をつけることは「文化的な優劣」といえるのでは、という意見がありました。

 

「理不尽」というワードも出てきましたが、理不尽ということは、逆の「理にかなっている」という優劣が「個体差」に当てはまるのでしょう。

 

ではその文化的優劣である、生存可能性や希少性という面では優劣が付かないところにわざわざ優劣をつける、その背景というのはどういうことだろう、という本日のテーマに入っていきます。

 

差別の例から考えると、「自分たちのグループに富を有利に配分したい」という欲望が考えられました。

多数派に有利なルールを作って、少数派を締め出すということです。

 

左利きと右利きの例が出てきました。

これは元々身体的優劣はないが多数派と少数派が最初から決まっていて、道具が右利き用に設定されているということで、左利きが不便になり生きづらいので、右利きのほうが優と思われてしまう、ということになるでしょうか。

 

◆いつでもどこでも「優位に立ちたい」という欲望

生存確率を高めたり、優位なグループに入る、というところがある程度わかったのですが、

「それでも、そこまで日々優劣を気にしすぎでは?」という問いが出てきます。

子どものしょうもない意地の張り合いのようなもっと些細な事のような、どんぐりの背比べ的な、そこまで優劣を気にするというのはどういうことだろう、という話になっていきました。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!