<細かい優劣と「余裕のなさ」>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「優劣」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆いつでもどこでも「優位に立ちたい」という欲望
生存確率を高めたり、優位なグループに入る、というところがある程度わかったのですが、
「それでも、そこまで日々優劣を気にしすぎでは?」という問いが出てきます。
子どものしょうもない意地の張り合いのようなもっと些細な事のような、どんぐりの背比べ的な、そこまで優劣を気にするというのはどういうことだろう、という話になっていきました。
そういえば、私たちの暮らしの中は日々小さな優劣を追いかけてばかりな気がします。
近所のラーメン屋は十分美味しくて満足しているのに、わざわざ新しく出店したと聞けばいそいそと遠出しどこがこだわっているとか、普段買っているスナックやインスタントラーメンも同じです。
いつでもどこでも優位に立ちたいという欲望と、いつも優劣を評価したいという欲望は同じなのでしょうか?
◆「余裕のなさ」と優劣
「現代人がここまで優劣に敏感になっているのは、余裕がないからでは?」
という意見がありました。
社会的背景として、中流に安住できるという時代ではなくなり、一歩間違えると下流に突き落とされるという恐怖が以前より増しているのではないか、という予測からですね。
「余裕のなさ」というワードが結構印象に残ったのですが、生き残れる側に立っていなければならないために常に、小さい優劣にも敏感になっておく、そんな構図でしょうか。
◆優れたリーダーとは?
「優れたリーダーとは?」という話が出てきました。仕事ですばらしい成績を出し続ける人=優れた社員となりますが、優れたリーダーかどうかは別の話です。
これは営業成績とグループのリーダーには求められる資質が違うからなのですが、この例から考えると、優劣は善悪などと同じように「評価」であって、評価である以上は「何にとっての『優劣』か」を考えないといけないということがわかります。
当然、優劣の評価基準は国や時代、文化によって違ってくるということで、例えば昔はしもぶくれの顔が美しいとされてきたとか、国によってカッコイイとされる髪型が全く異なるとか例はいくらでもあります。
お金持ちの社長に対して、ミニマリストが「お金に頼らない幸福論」をかざして自分の方が優れているという例には、少しばかり嫉妬の意味もあるでしょうが、評価基準を並立させて自分の方が優れていると主張しているという構図になります。
◆希少性なのか、マジョリティなのか。
最後の方に、「もともとは希少性が『優』であったはずなのに、マジョリティが優劣の『優』を作っているという話になったことは、矛盾を感じる」という問いが出てきました。
これはどういうことでしょうか。
生存戦略のために「優」の側に入っておきたい欲望、ということはわかりましたが、本来の「優」はできる人が少ない体質・能力を持っている人のはず、ということです。
これは、「みんなと同じは嫌だ」「差をつけたい」と最新のファッションを追いかけているようで、結局みんなと同じになっているという構図に似てはいないかと思ったりもします。
この話をしていて、昔にやったテーマ「中二病」を思い出したのは私だけでしょうか。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。話がまとまっていなくても終わります。残りは皆さんのお土産にもなります。
今回の「優劣」というテーマに関しては、根幹には「生存戦略」というワードで大部分は説明できうるということは何となく分かりましたが、具体例を個別に考えるにつれ、問いがどんどん増えていくという、なかなか興味深い回になったかなと思います。
その分宿題も残っていきましたね。
以上で、オンライン哲学カフェ「優劣」の振り返りを終わりたいと思います。
ありがとうございました。
では、また!