<「冒険すること」は、「生きること」と同じ>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は「探検記」です。
◆なんで、冒険をするの?
角幡唯介さんは、探検家です。
彼の過去作品「空白の5マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」
が有名ですが、こちらも、負けず劣らず無茶な探検記となっています。
過酷な冒険の中で、彼は何度も死にかけます。
何故そんな過酷な冒険をするのか?という問いに対する彼の答えが、冒頭の
「冒険とは、生きることと同じなので、その質問は『あなたは何で生きているんですか?』と訊かれるのに等しい」
という答えになります。
彼は、死と隣り合わせの冒険によって、「自分が生きている事」を実感しているのでしょうか。
◆「極夜行」という冒険
「極夜」というのは、「白夜」の逆で、極地では冬季には一日中、日が昇らない時期があります。
つまり、一日中夜なのです。
彼が探検した北緯79度のグリーンランド北西部では、4か月もの間、「極夜」となります。
月が出ると幾分明るくなりますが、月のない間は、真の闇がずっと続きます。
そんな暗闇で、ずっと探検をしたら、人はどうなるのだろう。
また、4か月振りに昇る太陽を見た時、いったい何を思うのだろう。
それが彼の今回の探検の目的でした。
◆4年かけて準備
彼は、準備に実に4年を費やします。
・補給拠点づくり
・補給物資の運び込み
・ルートの確認
・同行する犬を買って飼いならす
「犬」です!この探検記のキープレイヤーであり、角幡の唯一の旅のお供です。
◆トラブルの連続
いよいよ出発!
なのですが、スタートから実にさまざまなトラブルに見舞われます。
・最初からブリザードで長く足止め
・やっと動けると思ったら六分儀が飛ばされてなくなる
・補給拠点が白熊に潰されている
こんなのは序の口です。
何度も何度も死にかけます。
「真の闇」というのは、常に人を惑わせるようです。
現地のイヌイットの方たちも、毎年10月ごろになると体調をくずすというぐらいですから。
そして、食料不足が極限に達し、遂に相棒を食べないと明日は持たない、ところまで来てしまいます。
そうしたら、、、。
◆「システムの外側」という表現
彼は、探検の意義を「システムの外側」という表現を用います。
普段我々は、ほとんどの時間「システム」に守られています。
夜も明るく、安全で、雨風をしのげ、虫も入ってこない、エアコンの効いた環境に慣れ、空腹にはなっても飢餓にはならず、わからないことは瞬時にスマホで調べ、、、。
探検は、それら一切の「システム」を自らの意思で抜け出し、敢えて自分の体ひとつを大自然の中に放り出し、経験のみを頼りに過ごしてみる行為、とでも言えるのでしょうか。
その経験を通して、人間は地球の中に、ただ「生きているのだ」、という実感ができるのでしょう。
変な文章になりますが、彼は、死にかけた時、生き生きするのです。
「混沌」を楽しんでいたのです。
◆文章がとにかくおもしろい
この本の特徴は、なんといっても「文章がおもしろい」ことです。
死と隣り合わせの過酷な旅なのに、常に軽いタッチの文章です。
読み進める楽しさのひとつです。
ウンチを犬が喜んで食べるシーン、犬に八つ当たりするシーン、
(あ、犬ばっかり)なんかは、笑いが止まりません。
◆そして、太陽が!!
旅も終盤、遂に太陽が昇ります。
圧倒的な存在感に彼は言葉を失います。
ここの表現は、ほんとすごかったです。
メチャクチャ面白い本でした!(ギブミー語彙力)
では、また!