<問う、語る、聴く>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は10連休の3日目です。
私は、今日も金曜に落ちてきた爆弾の処理に費やされ、勤務2:休日1。
「考えるとはどういうことか ~0歳から100歳までの哲学入門」 梶谷真司
感想続きです。
昨夜は「自由に考える」意義についてまとめと考察を書きました。
今日は、「哲学対話の実践」について書きたいと思います。
◆「哲学対話」のポイントとは?
①<問う>
私を含めて多くの人が普段「問う」ことに慣れていないと思います。
私の経験では、哲学カフェで「問いを考えている」ときは、 普段とは違った思考回路になります。
例えば「何故人は失敗するのか?」という問いに対して、
普段なら
「何が原因で失敗したのか」
「次に失敗しないためには何をすればいいのか」
となりますよね。
でも、哲学カフェでは、問い方が変わります。
「なぜ、失敗すると嫌な気持ちになるのか?」
「失敗って、そもそも悪いことなのか?」
というふうに。
言葉ではうまく表現できないですが、
前者は「よく調べたら解決するような問い」、
後者は「意味付けを発展させるような問い」
といった感じでしょうか。
②<語る>
「相手の分かる言葉を選び、伝わるように努力する」こと、これは普段のコミュニケーションの基本ですよね。
もうひとつ、哲学カフェには「語ってから考えていい」というのがあります。
まとまってなくても、語りはじめ、他者の協力も借りながら、徐々に自分にとっても明確になっていく。
「それって、こういうことかな?」という要約をしてもらったり、別の言葉に言い換えてもらったり。
「そうそう、それが言いたかったんです!」ってなる瞬間は気持ちいいです。
③<聴く>
大切だと誰もが知っているのに、なかなかできない「傾聴」です。
相手がしゃべっている間は、次に話すことを考えない。
それが良いとか悪いとか聞きながら判断しない。
聞き終える前に、「わかるわかるぅ~」といって、自分勝手な解釈で続きを話したりしない。
(わかっちゃいるけど、やめられない。)
哲学カフェでは、たまに沈黙が訪れます。
でもその沈黙は「聴き終わってから考えている」からで、むしろその時間を大切にしてほしいと思います。
◆進行役について
本書では「哲学対話の進行役は、仕切らず、いち参加者となり、率先して対話を作り上げる協力プレーの体現者となる」とあります。
なるほど~です。
進行役がずっと、発言を受けてコメントを返したり、仕切っていると、先生対生徒のようになってしまいますよね。
私が今まで参加してきた哲学カフェの進行役の方は、程度の差はあれ、
最初こそ受け応えをしますが、場が温まってくると、積極的に入ってきません。
議論が難しくなると、「ちょっとわかりません、もう一度言ってください」聞き直します。
スピードが速くなってくると、「ちょっと待って」とひと息入れます。
対話が発展しやすいように、ホワイトボードに図示します。
そうやって、皆が哲学しやすい場づくりを実践されているのですね。
先日自分で哲学カフェを開いた時には、
「なにぶん私進行役初心者なので」的な面が、むしろ結果として皆さん協力に作用したのかな、という気はしてますが。
これも結局経験の積み重ねですよね。
もっとやりたいです。
◆まとめ
- 「哲学対話(哲学カフェ)」は、普段とは違う「考える」ができる。
- そこでの「考えること」は「ともに問い、語り、聴くこと」。
- 「哲学対話」は、「考える」とは本来「自由なものである」を体感できる場。
- 「答えのない」ことについて考える時こそ、「自分で考える」ができている。
まとまっていませんが、終わります!