<「樹」を育てる共同作業>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日書くのは、私が今年ずっとお世話になっている、「園田哲学bar」さんです。
◆哲学カフェとは?
・誰もが『対等な立場』で、テーマについて自由に話し合う場
・テーマは身近なこと。(例「お金」「愛」「子供」「嫉妬」)
・哲学の知識は不要(全くもって不要です)
・あるのは進行役と少しのルールだけ
詳しくはHPにて。↓↓
場所:園田地区会館
時間:19時~21時(2時間、途中休憩有)
当日の参加人数:15名。うち進行役1名。
本日のお題は「哲学カフェに行く理由」。
「哲学カフェを哲学する」という、ある意味新鮮なお題でした。
前半のレポートはこちら。
それでは、後半のレポートです。
前半ではひとりひとりが「行く理由」を順番にあげていきましたが、後半では、気になるトピックについて掘り下げる時間となりました。
◆哲学カフェにおける「たとえ話」
私が哲学カフェにおいて、いちばん面白いと思っていることが、「たとえ話」です。
「できるだけ人に伝わるよう、努力をする」というのが、発言する際に重要なのですが、そこで大切になってきます。
伝わりやすいのは、自分の経験を話す事。また、身近な話題にそれを置いてみること。
哲学カフェのメンバーは実に上手に具体例に落としてきます。
「あるはず」の回、誰も見たことないのに皆が信じているという、「あるはず」状態。それを「ブラックホールはあるはず」という見事な例で言い表した方。
また、「知らんけど」の回、ガラパゴス化した関西人の「知らんけど」を東京の方が誤解してしまうのを、若者とオジサンの間での「ヤバイ」に似ていると言った方。
抽象的なイメージ・言葉にしにくいニュアンスを、「できるだけ人に伝わるように」具体例に変換するというのは、高度なコミュニケーション能力だと思います。
そしてこれこそ自分が「身に付けたい」と求めているスキルのひとつで、日々皆さんの発言から学ばせてもらっています。
◆哲学カフェは共同作業
ある方が、「共同頭脳」という言葉を使われ、ああ確かにそうだなと思いました。
哲学カフェは、誰かが出した意見に対して更に別の方が発言を重ね、言い換え、テーマが持つ意味を紐解いていきます。
自分がまとまっていないまま出した意見でも、他の方が拾ってくれて、「ああ、自分はこういう事が言いたかった」という風に気づくことがあります。
逆に、「自分はこういう事が言いたかったんじゃないけど、、まあ、別なように広がっておもしろいな、と思うこともあります。
園田哲学barでは、ホワイトボードに板書していくのですが、まず中心にテーマが書いてあって、そこから樹木のように、出てきた言葉を矢印とともに書き広げられます。
その哲学の「樹」を作っていくプロセスに関わること、それが哲学カフェにおける「考える」ということなんだと思います。
哲学カフェを「ジャズの即興演奏」に例えた方もいらっしゃいましたね。
ある方が、「30分遅れてくると、最初のやり取りを取り返せないのでやりにくい。1時間遅れると、もう行く気が無くなる」とおっしゃっていましたが、これがまさにプロセスが面白いという例なのでしょう。
◆哲学カフェでは結果を求めない?
というトピックもありました。
「哲学カフェは、『ひとつの結論』を求めるものではない」という特徴があります。
では、「成果」は要らないのでしょうか?
それは、そうではないよね、という意見でした。
議論の結果でいうと、「樹の枝・葉」となりますが、その中で自分がああなるほどと納得し、それを翌日から活用するというのはひとつの成果です。
「あきらめる」=「自分を見極める」なんていうのはその例ではないでしょうか。
そして、私にとっては「対話した経験」「考えた行為」そのものが哲学カフェの最も大きな持ち帰れる成果であると思っています。
「本じゃいかんのか?」という意見もありましたが、
「自分で選んでいる『本』よりも、予想しない答えが出てくる『対話』は、やはり刺激がある」という意見も。
◆アフター哲学カフェ
この辺で時間となりましたので、今回の哲学カフェは終わりです。
最近では毎回終了後、残れる方はお好み焼き屋さんに場を移し、反省会を行います。
時間が遅くなるので、あまり参加できていませんが、今回久々に行きました。
別の場で哲学カフェをされている方とも、たくさんお話しでき、多くを勉強させていただきました。ありがとうございました。
次回のお題が実際に決まる場にも参加させていただきました。
下旬ぐらいに、主催者よりHPに掲載されると思います。
これで、今回のレポートは終わりにします!
では、また!