ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

哲学カフェに参加しました ~園田哲学Bar 「脳」①

<「脳」=「自分」なの?>

こんばんは。ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

今日書くのは、私が今年ずっとお世話になっている、「園田哲学bar」さんです。

 

◆哲学カフェとは?

・誰もが『対等な立場』で、テーマについて自由に話し合う場

・テーマは身近なこと。(例「お金」「愛」「子供」「嫉妬」)

・哲学の知識は不要(全くもって不要です)

・あるのは進行役と少しのルールだけ

 詳しくはHPにて。↓↓

cashewnut27.blog.fc2.com

 

場所:園田地区会館

時間:19時~21時(2時間、途中休憩有)

この日の参加人数:12名。うち進行役1名。

 

「予約不要」ですので、思いついた時に気軽に寄れます。

 

年齢層は広く20代~70代ぐらいの方まで。女性は2~3名ぐらいです。

常連さんが多く、いつも優しい雰囲気で場は進みます。

初めてでも、全然違和感なく入っていけますよ。

 

市民ホールの1部屋で、長机・パイプ椅子を並べて適当に座ります。

19時にスタートですが、仕事帰りの方も多く、途中入室される方も多いです。

持ち寄りbar(アルコール可)で、飲みたい方は缶ビールなどを持ってこられています。

 

まず、進行役が決めごとについて説明します。

 

①ここは、自分の意見を通す場ではありません。

 →結論は出しません。時間になったら終わりです。モヤモヤとしたものを持って帰れることも哲学カフェの楽しさのひとつです。

 

②他人の意見をしっかり聞きましょう。

 →他の人が発言しているときは、黙って最後まで聞き、発言したいときは挙手をしましょう。

 →他人の人格を否定するような発言は控えましょう。

 

③他人に伝わるように努力しましょう。

 →抽象的な物言いでなく、できるだけ「自分の経験」について話しましょう。

 

こちらでは、お題はあらかじめ決められていて、会の最後に次回のテーマを決めています。

 

本日のお題は「脳」(!)。

 

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なんと「脳」です。

 

難しいテーマです。これを街の哲学者たちはどうやって解体していくのでしょうか?

 

では、主要なトピックと印象に残った点、それに関する私の感想を簡単ですが書いていきたいと思います。

 

◆「脳」=司令塔 「体」=従業員

今回のお題は、極端に言えば「体の部位」であって、しかも「脳」っていう、謎だらけのものを哲学することになりました。

 

当然、問いを立てれば医学的なことになってしまいます。おひとり詳しい方がいらっしゃいましたが、その方においても脳については「知らんがな」なことばかりです。

 

とりあえずこんな話題で探り探りすすむことになります。

 

 私たちの概念の中では、「脳」が体の司令塔であって、その他の部位は脳が命令を出しているとイメージしています。

実際、脳のある部分を損傷すると、体のある部分が動かなくなるといったことは事実であり、それは間違いではないと思います。

 

しかし、判断を下し行動を命令するのは脳であっても、その判断根拠を示すのは何かというと、やはり体のどこかの部位なのです。

 

例えば、おなかがすいたから何かを食べるといった行為は、おなかが「おなかがすいた」信号を送ることで「食べよう」となりますよね(詳しいことは知らんけど)。

 

熱いものに触ったら、手をすぐ離しますよね。

 

動物が生きる目的は、理由はどうあれ生きて子孫に遺伝子をつなぐことなので、その目的に沿う行動をするために、体と脳はあくまで「連携」しているわけです。

 

脳が単独でいろいろモノを考えて、体の部位に働きかけている、というのとはちょっと違うようですね。

 

◆脳=私なのか?

手塚治虫の代表作「ブラックジャック」では、荒療治として人体のツギハギがよく行われます。

そのなかでは「脳移植」とよばれるものもあり、脳を移植された人は別人格になってしまうのです。

 

まあ、これは漫画の世界で、人類で実際に今までこれを試してみた例はありません。

しかし、私はおおむね「脳」=「私」のような感覚を持っていて、私の頭を誰かの体につなげたら、それは「私」になるもんだ、と考えています、たぶん。

 

「脳はひとつの臓器に過ぎないと思っている」という発言がありました。

先ほどの「脳はあくまで体と連携をとっているだけ」に通じるところがありますよね。

これには、ああなるほどと思うところあります。

 

仮に、自分の脳を取り出して、機能を維持できる液体の中に漬けて保存できたとしたら。その脳ははたして「自分」なのでしょうか?

 

おそらく目も耳も、五感が全くなく、動かす部位もなく、そんな状態で自分が何かを考えているところは全く想像できませんよね。

 

そう考えると、やっぱり「脳」だけを切り離してしまうことに意味はないように思われます。

 

◆後半に続く。

でも、でも、「自分」は「自分」であって、決して他人ではない。

なぜ「自分」だけが「自分」なのか。

そんな答えのない問いを「脳くん」に求めても仕方がないのかもしれないのですが、敢えて問うてみるのです。

 

じゃあ、「脳」をもっていない単細胞生物と人間の違いは何なのだろう?

植物との違いは?

 

決して答えは出ないのですが、後半に続きます。

盛り上がりを見せた後半戦は、日を改めて。

 

では、また!