<脳は「共有」される?>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日書くのは、私が今年ずっとお世話になっている、「園田哲学bar」さんです。
◆哲学カフェとは?
・誰もが『対等な立場』で、テーマについて自由に話し合う場
・テーマは身近なこと。(例「お金」「愛」「子供」「嫉妬」)
・哲学の知識は不要(全くもって不要です)
・あるのは進行役と少しのルールだけ
詳しくはHPにて。↓↓
本日のお題は「脳」(!)。
前半部分の記事はコチラです。
では、続きを書いていきたいと思います。
◆前半トピック
前半は、脳のはたらきについて探っていく感じでしたが、探ろうとするとどうしても医学的なところにいってしまう、答えを探ろうとしても、そんなこと知らんがな、ってなってしまう、なかなか難しい展開となりました。
前半はこのような話題が出てきました。
・植物や単細胞は脳を持たないが、どう違うのか?
・脳は司令塔で体は従業員か?
・脳=私といえるのか?
・脳だけを別の人に移植したらどうなるのだろう。
・脳は臓器のひとつにすぎず、体と切り離すことはできない?
◆人間とアリの違い
アリに脳があるのか?では魚は?
私は、これらには脳はないんじゃないかと思っていました、すいません、あるようです。
私はよく、虫や魚を見て、「この子らは今いったいどんなことを考えているのだろう」と思うことがあります。
例えばアリ。彼らは隣のアリがチョンと送ってくる言葉をまた隣のアリにチョンと渡しているだけ。自分が何をやっているかよく解っていないにもかかわらず、素晴らしい集団行動を取ります。
人間ではこうはいきません。「何でそんなことを言うんだ」と、相手の言い分を聞かないこともしばしば(笑)
ある方がこうおっしゃいます。
アリはコロニーがひとつの生き物のようにふるまっているのでは。
いっぽうで人間は脳の細胞のひとつひとつがアリと同じようなもので、それがまとまって人間をかたち作っている。
なるほど、少しヒントが見えてきました。
昨日も述べましたが生き物はつまるところ生き延びて遺伝子をつなぐことが目的なのですが、その手段が少しずつ違うようですね。
アリは動物の中では単位が小さく数が多いですが、人間はある程度機能が一個体の中にまとまっていて、数が少ない割に生存確率が高い。そこで脳が役に立っているように思います。
東洋医学では人間の中心は「腹」である、という発言がありましたが、生きることは栄養補給(あと生殖)に他ならないので、消化器官が主役で脳はスタッフ部門という考え方もでき、そう考えると脳を特別視する必要がないように思ったのです。
◆で、結局、自分と他人の違いは?
「脳はしょせん臓器の一種である」という考え方は、なんか説得力があって私の中で大きな存在になりつつありましたが、依然「自分」と「他人」の違いは何なのか、という私の疑問はまだか明かりが見えないままです。(まあ、答えはないのですが)
そんな中、面白い展開がありました。
・誰かと同じ経験をしたら、それぞれに同じ記憶が残る。同じ文化圏で暮らした人たちは、考え方が似通う。それって、「脳は共有物である」と言えないか?
・いま哲学カフェでは、「脳の共有」をしているようなものではないの?
えっ、そういう考え方もあったのか!
臓器という考え方ではそれはその人固有のものであるけれど、情報は自分も他人も関係なく入っていき、たしかに他人の脳も自分の脳として活用できているともいえますね。
さらに。
・自分ひとりの頭の中でも、同時にいくつもの異なった意見が出てきて、日常的にそれを比較検討している。これって、1人の中に何人もの人格があるようなもの?
という意見も。
このような意見を受けて、自分と他人との境界線があいまいに思えてきました。
たしかに哲学的ですが、これを私が考え進めるにはもっと時間が必要かと思います、、。
◆コンピュータは「感情」を持つことができるのか?
この日も佳境に入ってきたころ、このような話題となりました。
コンピュータが囲碁の世界チャンピオンを負かしたり、東大入試に挑戦したり。
記憶と応用については、コンピュータが人間を凌駕しています。では、その他のところではどこまでいくのでしょうか。
人間にとっては興味の尽きない話題ですね。
◆終わりです。
前半では、難しくて私なんかは戸惑っているばかりで、他の皆さんも発言が探り探りでしたが、論点が出てきた後半は、盛り上がったのではないでしょうか。
私にとっては、ついていけないぐらい難しいところもありましたが、「自分とはどういうことか」というような根本的な問いに近い部分に触れることができ、とても印象深い回となりました。
ありがとうございました。
これで、今回のレポートを終わりにしたいと思います。
では、また!