<ディストピアと自由主義>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は、昨日に引き続き、
「正義の教室~善く生きるため哲学入門」飲茶の感想を書いていきたいと思います。
昨日の記事はコチラ。
◆「最大多数の最大幸福(功利主義)」の問題点
昨日は「平等」の考え方の基本として「最大多数の最大幸福(功利主義)」を紹介しました。
しかし、この考え方に対して筆者は多くの問題点を指摘しています。
・行動の動機を快楽と苦痛だけで表現できるのか
・快楽の度合いも人によって違うし、その時々によって受ける印象も違うので数値化はどだい無理
などなどありますが、
最大の問題点は、
・実行しようとすると、とても強力な権力が必要になる、たぶん無理。
ということです。
富の再分配ひとつとっても、大企業は税金逃れで海外に資金を移したりするし、そうでなくても富の一極集中は加速するばかりです。共産主義が崩壊するのも抑えきれなくなってしまうからです。
例えば防犯カメラは、誰もが少しのプライバシーを差し出すことによって多くの犯罪を抑止することができています。
では、もっともっとこれを進めて、家の中にもカメラを仕掛け、危険な言動を自動的に感知するようにしたら、もっと犯罪が減るのでは?
皆が体内にマイクロチップを埋め込み、24時間体内情報を監視したら多くの病気が早期に発見できるのでは?
つまり、このような状態って?SF作品である「ディストピア」です。もしくはコミックの設定です。
ディストピアは正義でない、むしろ悪ですらあるように思います。
◆「自由主義」とは?
平等の論理と問題点はこのぐらいにして、次は自由について振り返ります。
筆者は、自由の主張とはとは、究極的に大きく2つに分かれるとまず大胆に言います。
それは、「弱い自由主義」と「強い自由主義」そしてここで述べるのは、「強い自由主義」です。(違いについては、本書を参照ください)
強い自由主義のとは、ひとことでいうと、
「自由にやれ、ただし、他人の自由を侵害しない限りにおいて」
であり、
「自由を守ることは結果に関わらず正義であり、自由を奪うことは結果に関わらず悪である」となります。
人を殺したり、他人の物を奪ったりするのは、他人の自由を奪うことになるので、自由ではありません。
「功利主義(最大多数の最大幸福)」で触れた「富の再分配」は、人が稼いだお金を権力を持って奪いとるので自由主義とは相容れません。
功利主義は、全体の幸福のために個人の自由を奪いますが、
自由主義は、個人の権利のために個人に強制することがまったくできません。
ある意味明快で気持ちいい論理になりますね。
でもこれが行き過ぎるとどうなるか、これは先ほどの逆を考えればわかります。
強いものだけが生き残る世界です。弱者は死んでも仕方がないという世界です。
自由主義の問題点は明らかです。助け合いの精神がありません。
では、「助け合いの精神」とはなんなのでしょう。功利主義でしょうか。
その問題を検討するにあたって、最後の「宗教」の考え方が重要となります。
今日はこの辺で終わります。
続きは日を改めて。
では、また!