<自由のはずなのに、不自由>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
昨日に引き続き、第5回オンライン哲学カフェ
「ルールと自由」
について書いていきたいと思います。
本日で3日目。そろそろ終わります、、。
昨日の記事はこちら。
昨日は、「ルールを破る自由もある」 「自由とは幸福なのか?」について書いてきましたが、最後に、私が気になっていた「自分ルール」について書いていきたいと思います。
◆「自分ルール」という不自由
「自分ルール」をどんどん作って、自分で自分を不自由にしていないか?
私が最近感じている事なんですが、正直に言って、「自分ルール」を少し作りすぎているな、と思うことがあります。
毎朝5時に起きる、ブログは3日空けない、読書は月10冊以上(今年に入ってできていない)、筋トレ(先日のブログに)、子供と散歩しながらポケモンgo(これも)、習慣化するのはいいんですが、そのルールに縛られて、むしろ不自由を感じてしまっている、そんな今日この頃です。(まあ、そこそこ楽しいからいいんですが。)
幸い、自分の時間と能力には限度がありますので、それ以上多くは望めませんが、今の日本は、驚くほど自由で、やろうと思えばいくらでもやることができます。
やってやれないことは無いからこそ、欲を出してやり過ぎてしまう。
自由なのに、敢えて不自由を作ってしまう、なんとも皮肉な現象ですね。
じゃあどうしてやらない自由もあるのに、「やらなきゃ」って思うのでしょうか?
「もういいや」ってならないのはどうしてでしょうか?
これは、「ルールと自由」の本題からずれてきたので、これ以上書きませんが、価値観(思い込み)の強さがあって、何かに対しての怖れがあるんじゃないかと思います。
◆終わりです。
今回もたっぷり2時間語り合うことができました。
実際は、もっと個人的なエピソードがどんどん入ってきて、盛り上がったのですが、その辺にはあまり触れないようにしています。
次回のテーマは「『自然を守る』ってどういうこと?」に内定したようです。
皆さまありがとうございました!
では、また!