<ただ好きだから読んでいることが多いです>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
朝早く起きて何をしてるの?と聞かれたときは、「だいたい本を読んでる」と答えます。
そこで75%ぐらいの確率で「へぇー偉いね」という言葉が返ってきます。
そもそも、「趣味が読書」って、何故「偉い」のでしょうか?
「話し方」や「整理術」などの自己研鑽の本、知識を深めるための歴史や経済の本を読んでいる、というなら「偉いなぁ」というのもわかります。
でも、ひょっとしたら、サスペンスとか、ホラーとか、芸能人のエッセイなんかを読んだりしているかもしれません。
それって、別に偉いとかどうとかいう問題ではなく、本人からすれば「ただ楽しいから」読んでいるだけだと思います。
結局のところ、本が偉いのではなく、読むジャンルによって違い、もっというと偉くなりたいという目的をもってその人は読んでいるかによって、違ってくると思います。
例えば、「私はテレビが好きでたまりません」と答えると、「偉いね~」という人はいないと思います。
でもその人はニュース番組や教養番組が好きかもしれませんし、せっせと語学の練習をしているかもしれません。
「私の趣味は漫画です」というと、どうでしょうか?
「偉いね~」どころか、「毎日楽しそうだね~」ぐらい言われるかもしれません。
「私は暇さえあればスマホいじっています」は、どうでしょうか?
「現代病だね~」と病気呼ばわりされるかもしれないですね。
むしろ本を読むより、スマホいじってるほうが、もっと多くのことができるはず。
本に話を戻すと、読書はあくまで媒体(メディア)であって、重要なのは内容(コンテンツ)なのに、どうしてか、そうはなりません。
そしてだいたいそう語る人は読書をしない人です。(別にマウントしたいわけではなく)読書をする人であれば、偉いね~とは決して言わず「どんな本を読んでるの?」と聞くからです。
「読書会に行ってます」というと、「ずいぶん高尚な趣味をお持ちですね」と言われますが、行っている本人は全然そんなことはなく、映画好きの集まりや釣り好きの集まりとたいして変わりません。アレが良かったとか、オススメあったら教えてよとか。
読書が媒体である以上、読書好きが集まっても会話がかみ合わないことが時々あります。読んでいるジャンルが全然違う時です。
歴史小説好きと、経済本好きと、ハウツー本好きが集まったら、むしろつながりは「本」を読んでいるということだけで、趣味が違うのと同義ではないでしょうか。
テレビに例えると、大河ドラマばかり見ている人と、ニュースしか見ない人と、バラエティーばかり見ている人が集まって話をしているようなものですから。
ここまで書いてきて、このブログのタイトルが「ちくわのぴょんぴょん読書日記」であることに気づきました。これは重大な問題です。
自分は何を発したいかということをタイトルで表せていないということになってしまいます!
まぁ、それは近いうちに対処しましょう。
ところで「偉い」ってどういうことでしょうか。
「読書をしない人がそれを言う」というところにヒントがありそうですね。
それは、別の機会に考えることにします!
では、また!