<変化していく「かわいい」>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今回は第15回となります。
今日は昨日の続きを書いていきたいと思います。
昨日は、「かわいい」は、自分より弱いものに抱くことが多いこと、守りたくなってしまうこと、そしてその弱さというのは、完璧じゃなく「隙」と表現されること、について話したことを書いてきました。
また、その「隙」というものを意図的に作ることができる人種がいることもわかりました。
今日は、「かわいい」という言葉が持つ意味の広がりについて、おもに書いていきたいと思います。
◆女性が発する「カワイイ!」というアレ
私は昭和生まれの男ですが、「かわいい」というと、一番広く使われている赤ちゃんや小動物に対して抱く、小さい・愛くるしい「かわいい」ぐらいです。
しかし、女性が発する「かわいい」はもっと違う意味と言うか、もう少し広範囲で使われているようです。
女性が同性に対し、日常的に発する「今日の服、かわいいね」というのは、隙があるからとかいう類のものではなくごく単純に「いいね」とも言い換えられるようです。
「テンションが上がった時」「自分を強化する武器を身に付けられた時」という意見もありましたが、面白い表現だな、と感じました。
過去に海外進出した「kawaii」という言葉のことも話題になりましたが、あれは、好きなアニメ・キャラクター・ファッションに対し使うことが多かったですよね。
それは自分のテンションを上げる存在、日本では「カワイイ」とカタカナで表現されることも多いように思います。
「自分が持っていないもの、自分が得たいと思っている人を持っている人に対して抱く感情(憧れ)」
という感情に対して自分は「かわいい」と思う、という意見もありました。
これも隙や弱さとは全く違いますよね。
「とりあえず『かわいい』と言っとけば済む、便利な言葉」という、面白い意見もありましたが、まさにそんな様相を呈してきている、ガラパゴス化といってもいいぐらいの汎用性の高さですね。
ガラパゴス化というと似ている性質として「ヤバイ」なんていう現代語もありますね。
◆「かわいい」はどこから来るのか
では、人それぞれ違う「かわいい」は、いったいどのようにして生まれるのか、どこから来るのか、ということについての話にもなりました。
言葉というのは、その意味を持って受け継がれていくもので、生まれてから、誰か他人が何かを形容して「かわいい」と言ったことにより、自分が「これが『かわいい』なのか」、、と繰り返し聞くことで自分の中にも「かわいい」が作られていくんだと思います。
では、どうして、女性と男性が抱く「かわいい」はここまで違うのでしょうか。上記のような「カワイイ」は女性同士のコミュニティの中だけで、使われているのでしょうか?
子供の時に抱く「かわいい」と、大人になってから使う「かわいい」と、さらに、もっと歳をとってから使う「かわいい」にも違いがあるよ、という意見もありましたが、これはつまり、日々暮らしていく中で、周囲の影響によって、自分の中の「かわいい」が変化していくもの、ということになります。
まぁ、少し考えると、それは「かわいい」だけの問題ではなく、すべての言葉はそういうもんだ、という当たり前のことかもしれませんが、その当たり前のことに改めて気づき、考えることも哲学カフェの醍醐味だと思います。
◆終わりです。
今日はいつものメンバーと少し変化し、テーマの親しみやすさもあって、身近な例もどんどん出てきて盛り上がった回となりました。
以上で今回のオンライン哲学カフェ「かわいい」のレポートをひとまず終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
では、また!