主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第17回「『中二病』 ~結局、『中二病』って何?」②

<いろんなことがうまくいかない気持ち>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は第17回となります。

 

今日は、昨日の続きを書いていきたいと思います。

昨日の記事はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日は、「中二病」とは、

「背伸びしがちな言動、自己愛に満ちた空想や嗜好」

 であり、

①「DQN系」=不良、

②「サブカル系」=マイナー路線、

③「邪気眼系」=超能力への憧れ

というジャンルに分かれること、

そしてその背景には、

「自分をキャラ立てしたい気持ち」「自分をとがらせたい」

という心理が共通して存在するのではないか、というところまで書いてきました。

 

◆どうして、キャラ立てしたくなるの?

そうなると、「では、なぜ中2になると、自分をキャラ立てしたくなるのだろう?」という問いが湧いてきます。

 

それに対するヒントとしてキーとなる意見は、

「いろんなことがうまくいかない気持ち」というものでした。

 

中学生という年頃は、体も大きくなり「子供」というよりも、「大人」とみなされることのほうが多くなってきます。

なのに、自分にはまだまだ経験がなく、周りの大人たちのように、色んなことがうまくいくわけではない。

何事に対しても自信が持てない、鬱屈した、そんな気持ちを抱きやすいのかもしれません。

そこで、「強いものへのあこがれ」「全能感への強い渇望」「変身願望」というのが出てくるのではないか、ということなのです。

 

また、個性や自我に対する目覚めという意味も持っているでしょう。

どちらかというと「みんな同じように振る舞う」ことを要求する小・中学校の教育の中において、同時に「個性を持たなければならない」という価値観も強まってくるところです。

そんな葛藤の中で、「自分は『何者か』でなければならない」「他人と同じではカッコ悪い」という気持ちが言葉や行動に現れる、そんな成長期の1ページが「中二病」の正体ではないのだろうか、と考えるに至るのでした。

 

ファンタジーの世界にどっぷりハマる、というのは、「自分が何者かである」というその気持ちが空想の世界に向いてしまってしまう、ということでしょうか。

あるいは、現実に感じているストレスからの逃亡先が、空想の世界ということなのかもしれません。

 

◆「みんなと同じは嫌」・「みんなと同じでないと嫌」

面白い意見として、「大人になるにつれて、『皆と同じはカッコ悪い』という気持ちが薄れてきたのではないか。」というのがありました。

「みんなと同じように」というのは、社会的動物である人間にとって生存戦略上とても大切なことです。だから子供の時から周囲の価値観をまねて、周りのみんなと同じように振る舞うよう努めます。

しかし、同時に「個性」という価値観もでてきて、「自分は何が得意で、何を活かして、どんなことをして生きていきたいのか」ということも考えなければならなくなってきます。

社会に出てお金を稼ぐということは、自分の付加価値=他人との差 をお金に換えていかなくてはならないからです。

 

しかし、そんなふうに考えすぎていた若い頃とは裏腹に、実際働くことにも慣れてくると、周囲の大人は決してそんな人ばかりではないことに気づきます。

無理に「尖った存在」になろうとしなくても、それなりに自分の居場所があるし、逆に悪目立ちしたほうが損なこともあるし。

 

「何者かでないといけない」という価値観と「何者かになろうと必死にならなくてもいい」という、2つの価値観が混在する、大人の世界というのは面白いものです。

 

以前の青空哲学カフェ「自己肯定感と欠乏感」でもそんな話がでてきましたが、同じようなところに行きついてしまう、つながってくるところがまた哲学カフェの面白いところであります。

 

というわけで、長々と書いてきましたが「中二病」というものが、思い出すのもこそばゆい、青春の1ページであることもなんとなくわかったところで、感想を終わりにしたいと思います。

今回は、13名もの方に参加いただきまして、とても楽しく盛り上がりました。

 

では、また!

 

 

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